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ゴロンディーナーのちょっとした送電線の鉄塔記録
ここでは、ゴロンディーナーのちょっとした送電線の鉄塔(送電塔)の記録をアップしている。
私は送電線の鉄塔については、特に古い幹線系を好んでおり、興味がある。
具体的には、水力発電を起点とした、明治や大正初期〜大正末期、昭和中期頃に建設された送電電圧154kV(15万4千ボルト)の古い幹線系である。
今のところは、大きな1000kV設計や500kVといった近代的な大きな送電線路には、あまり興味がない。
<送電塔(送電線の鉄塔)の種類>
送電塔(送電線の鉄塔)の種類
まずは送電塔の種類を見て行こう。
<送電線のがいしの種類>
送電線のがいしの種類
<安曇幹線>
安曇幹線(1号線、2号線の区間について)
珍しい三角配列の烏帽子型鉄塔があった、新秩父開閉所から新所沢変電所までの区間の安曇幹線について
以上、簡単なまとめとしては、上記の2ページとなった。
続いてここからは、その再まとめとして、秩父の一部区間と、鎌北湖の西側、鎌北湖を超えて東側、さらにその奥、平地区間にあった珍しい三角配列の安曇幹線の烏帽子型鉄塔を見て行く。
※撮影した箇所については、既に現存していない箇所もある。特に三角配列の烏帽子型鉄塔に関しては、大半設備除却完了済みのようである。
また、送電線の撤去については大分前に済んだようであるが、送電塔に関しては、まだ所々で残っているエリアがあるようだ。
しかしそれも2018年確認当時である。その後はどうなったのかは不明である。
当方が管理しているブログの検索候補を見ると、「安曇幹線」のワードがまだ出てくるので、一応個人で調べた近況を、上記に明記してみた。
<<烏帽子型鉄塔・水平配列編>>
水平配列の安曇幹線の烏帽子型鉄塔
<<烏帽子鉄塔・三角配列編>>
三角配列の安曇幹線の烏帽子型鉄塔(鎌北湖より西側の区間)
三角配列の安曇幹線の烏帽子型鉄塔(鎌北湖より東側の区間)
三角配列の安曇幹線の烏帽子型鉄塔(平地区間)
安曇幹線・三角配列区間・解体時
<中東京幹線>
中東京幹線(旧送電線路名:西東京幹線)
比較的老番方面の中東京幹線
<<外輪線(外輪系統)>>
<北千葉線>
北千葉線
<東京東線>
東京東線
<東京北線>
東京北線
東京北線3013号鉄塔と3012号鉄塔
東京北線の鉄塔下にて、何故か1938年(昭和13年)製の懸垂がいし発見!!
1959年式の275kV設計鉄塔!昭和30年代に大流行り・東京北線 3018号他
<東京中線>
東京中線
東京中線2095号、2092号、2089号と2084号他
<京浜線>
京浜線
<東京南線>
東京南線
東京南線 1,2号線、3,4号線 65号他
<横浜火力南線>
横浜火力南線
横浜火力線には、横浜火力南線と横浜火力北線がある。
このうち、特に横浜火力南線の方が古いようで、これは横浜火力北線とは違い、起点の子安変電所兼開閉所より北上し、途中いくつかの変電所を通りながら、旭変電所へと接続されている。
ちなみに横浜火力北線は、横浜火力南線とは別のルートを通っており、起点の子安変電所兼開閉所をまず出発した後は、一旦西へ向かい、途中いくつかの変電所を通りながら、新横浜駅付近を経て、旭変電所へ向かっている。
なお、途中の変電所では、どちらとも併架されている下段の2回線の66kVから分岐するかのごとく引き下げているようだ。
これらは主に付近の配電用変電所用に電源供給するためのものなのであろう。
前述の通り、上部が横浜火力南線、北線の送電電圧154kVの幹線のようで、これが2ルートに振り分けて、それぞれ終点の旭変電所へ向かっているように見られた。
ちなみに横浜火力北線については、年式もまた東海道新幹線(新横浜駅)が開通した時とやや重なっており、これについては主にその地域への電源用のために施設されたことも考えられたのだった。
また、これまたややこしいが、横浜火力線には、前に南が付くものもがある。
名前の違いについては、火力発電所に由来していることから違いがあるようだ。
<横浜火力北線>
横浜火力北線
横浜火力北線については驚きなことに、一部ではショッピングモールの中に堂々と立っているものもある。
そこでは航空写真を見るとぽかんと穴が開いている。44号である。
地中化されずに残ったのが凄い。東京じゃ普通に地中化だ。
↑なお、2つの送電塔の年式の開きはわずか5年であるが、送電塔の形の違いについては、2路線で違いあり。
(しかしこれは、起点と行き先は一緒である。)
特にこれは、横浜火力南線の方が古そうだ。↓
なお、横浜火力北線については、東海道新幹線ができる2年程前に竣工していることから、主にこの送電線はその新横浜駅付近の供給用とも考えられた。
見てみると、途中複数ある変電所へ向けて送電線を分岐しているのが見て取れた。
(プレートを見ると、横浜火力南線は昭和32年竣工・横浜火力北線は昭和37年竣工の模様)
<南横浜火力線>
南横浜火力線
同じような名前があってややこしいが、南横浜火力線は、横浜火力南線、横浜火力北線とは全く別のところ(大分南へ行った場所)を通っている。
<江東線>
江東線
江東線のドナウ型鉄塔
<猪苗代送電線>
(※現在でいう猪苗代旧幹線と猪苗代新幹線にあたる2つの送電線路)
猪苗代送電線については、水力発電を用いた架空送電線路としては、東京電力管内ではかなり歴史深い架空送電線路になるかと思う。
これは大正初期の頃、大電力を必要とした東京へ向けて、広大な水源地である猪苗代湖の水力を利用した水力発電を用いた架空送電線路としては、かなり成功したといえよう架空送電線になるようだ。
なお、架空送電線路の数については、新旧含めて2つの送電線路があり、昔は1つを猪苗代舊(旧)線、もう1つを猪苗代新線と言っていたようだが、現在は送電線路名が猪苗代旧幹線と猪苗代新幹線に名前が変更されている。
<猪苗代旧幹線(山)>
猪苗代旧幹線(山)・(猪苗代旧幹線山線)
起点付近は、猪苗代旧幹線(山)という電線路が続いている。
<猪苗代旧幹線>
猪苗代旧幹線
ここで、日本で初めて115kV(11万5千ボルト)送電を開始した猪苗代旧幹線の本線の紹介を!
日本で初めて懸垂がいしを使用した送電線路でもある。
(日本ガイシさんの75年史 平成7年3月20日発行に載っている。)
なお、その懸垂がいしについては、当初は、アメリカのトーマス社を使用していた時期もあるようだ。
それまでは、送電線のがいしは特別高圧ピンがいしが主流だった。
猪苗代旧幹線の主柱材で確認できた「CARNEGIE」の文字
かつての駒沢線(初代)の八王子の多摩川横断箇所でも使われていた、カーネギー(Carnegie)製の鋼材は、猪苗代旧幹線でも確認できる。
<猪苗代新幹線>
猪苗代新幹線
猪苗代新幹線・三角帽子嵩上げ箇所・栃木・福島編 猪苗代新幹線・722号及び733号の原型・茨城-埼玉間の中川横断箇所(建て替え済み)
猪苗代新幹線・嵩上げ箇所 No.715〜No.739区間(現況:全て建て替え済み) 猪苗代新幹線・原型箇所・埼玉編(現況:2019年現在、758号を除く他は、全て建て替え済み)
猪苗代旧幹線については、途中から小北線などに電線路名が変更されており、その先は北東京変電所を経て、北鳩線となって、鳩ケ谷変電所までを結んでいる。
この方はその先は千代田線という電線路名に変更となり、田端変電所までを結ぶ。
次いで猪苗代新幹線の方は、途中で電線路名は変更することなく、福島からそのまま電線路名は続くが
765号鉄塔を最後に、北鳩線10号鉄塔より北鳩線(元猪苗代旧幹線だった2回線)と併架され、その後は鳩ケ谷変電所を結ぶ。
<北鳩線>
北鳩線
<千代田線>
千代田線
千代田線と鹿浜線の交差点
鹿浜線は門型鉄塔で潜り抜ける。
<上毛幹線>
上毛幹線
上毛幹線・奥の区間は少し若い・といっても、昭和2年 その1 上毛幹線・奥の区間は少し若い・といっても、昭和2年 その2
<群馬幹線>
群馬幹線
群馬幹線は、かつて実在の群馬電力が建設した送電線路である。
使われていた鋼材については、猪苗代旧幹線と一緒のようで、送電塔は大正11年竣工当時のものとしては珍しい、2条地線が活用されていた。
かつては金井発電所を起点とし、途中、小前田開閉所、吉祥寺開閉所を経て、直接川崎変電所へ接続されていたようであるが
現状については、大分送電線路は繋ぎ替えがされており、群馬幹線の起点である金井発電所兼変電所から川崎変電所までの元のルートを辿ると以下の電線路が該当している。
小松川線に関しては、かつては支線のような感じであった。
<武蔵野連絡線>
武蔵野線連絡線(元武蔵野線)
この送電線は、中東京変電所を起点とする武蔵赤坂線を経て、武蔵連絡線となり、新座変電所までを結んでいたものだ。
唯、現在は、武蔵野連絡線区間の送電塔は、送電線が取り外されており、一部では送電塔の除却も確認している。
しかしまだ全ての送電塔は除却されているわけではないようで、今後また使用されるようなことも考えられた。
特にJR武蔵野線の上部を通過する箇所は、送電線が外されて大分時が経過した今でも残り続けている。(2020年現在)
<武蔵野線>
武蔵野線
北多摩線
<川世線>
川世線
↑この辺りの年式は、昭和元年〜昭和15年を前後↑
↓よって、それまであったアメリカ製の群馬幹線の原型鉄塔は、わずか数年〜数十年で建て替えられたことになる。↓
<南武線>
南武線
群馬幹線が竣工した大正11年(1922年)当時は、アメリカ製の鋼材を使用した群馬幹線の送電塔は、直接、川崎変電所まで続いており、そこが終点だった。
当時はそこには試験設備などもあったようである。
なお、途中の埼玉県深谷市の小前田や東京の吉祥寺には開閉所もあったようだ。(いずれとも記念帖情報)
開閉所名は、小前田開閉所、吉祥寺開閉所とあった。
<千南線>
千南線
千南線は、多摩川横断箇所の特7号と特8号鉄塔で、群馬幹線時代に使用していた大正11年竣工のレンガ構造の基礎を流用した箇所がある。
そんなわけあって、千南線のページはここに付けた。
なお、続きの送電線については、「神奈川の送電線」の項目で紹介している。
<南葛線>
(群馬幹線の支線であったもの)
群馬幹線の支線を現在の電線路名で辿ると、武蔵野変電所→笹目線→笹目変電所→南葛線→京北変電所→西町線→小松川線に合流→・・・小松川変電所の順のようである。
南葛線
南葛線の鋼管1本鉄塔(鋼管単柱鉄塔)と鋼管2本鉄塔
<小松川線>
(群馬幹線の支線であったもの)
小松川線
南葛線に引き続き、こちらも群馬幹線時代は、支線だった箇所である。
唯、大正11年発行に発行された群馬電力発行の群馬幹線の写真記念帖には、その支線の情報はなかったことから、これは恐らくその後の大正末期頃に建てられたのかと考えられた。
また、送電塔の鋼材についても本線(群馬幹線)とは違い、そこは国産の送電塔を採用していたようである。
江戸川区のサイトに当時の小松川線の写真が掲載されているものがあるのだが、それを見ると亀戸線に似ている感じがする。
以上のことから、この区間で使用されていた鋼材は国産かと思われた。
ちなみにこの支線箇所の原型も、今はもう全て建て替えられているから、正式な年式の調べようがない。
この辺は建て替え時期が早かったようで、平成初期には既に今の形となったようだ。
終点間際の小松川線
<上越送電線(上越幹線)>
上越送電線もまた歴史ある鉄塔であり、大元の昔は中津川第二発電所、中津川第一発電所から、現在でいう東京都足立区にあたる花畑変電所と東京都江戸川区にあたる亀戸変電所までの2箇所を結んでいた。(現在の起点は信濃川発電所)
なお、途中にある花畑変電所へは分岐をして接続していたようであり、現状はこの区間は花畑線が亀戸線49号鉄塔から分岐をして花畑変電所へ接続されている。一方、亀戸変電所へは亀戸線がそのまま接続している。
現状については、上越幹線という電線路名の起点は(当時の名前は上越送電線の模様)、金井発電所兼変電所になってしまったようであるが、それより北側の地域では、今でも中津川第二発電所より、清津川線→湯宿線→水上線→金井発電所→上越幹線の順で一応接続されているようである。
だが、その先については、北埼玉線→埼玉変電所→東埼玉線→岩槻変電所→美園線→鳩ケ谷変電所の順となっており、かつて草加青柳線→亀戸線へとそのまま続いていた正規のルートは変更されている模様(東京電力で公開されている154kV系統図を参考)
なお、鳩ケ谷変電所には、北鳩線(猪苗代旧幹線、猪苗代新幹線)が接続されている。
ここから元上越送電線だった電線路を紹介
清津川線(元上越送電線)
湯宿線(元上越送電線)
<水上線>
水上線(元上越送電線)
<上越幹線>
上越幹線
現在も上越の名が付く電線路となっているのは一部区間である。
北埼玉線(元上越送電線)
この区間にも元は上越幹線のような送電塔が立ち並んでいたようだが、現状、送電線は増強されており、送電塔の形と送電電圧も、かつての旧鉄塔でなく、興味がないから巡っていない。
<東埼玉線>
東埼玉線(元上越送電線)
<埼上線>
埼上線
ここで一旦、繋ぎ替え区間の紹介
東埼玉線(元上越送電線)→岩槻変電所→美園線→鳩ケ谷変電所
<美園線>
美園線
<草加青柳線>
草加青柳線(元上越送電線)
<亀戸線>
亀戸線(元上越送電線)
1つだけ懸垂がいしの吊り方が違う、亀戸線96号鉄塔
(完全なる原型鉄塔のおまけ他)
<大町線>
大町線(旧電線路名:高瀬川送電線)
<常盤支線>
常盤支線
大町線は途中で常盤支線を分岐
常盤支線の送電塔も大分古いようで、セミストレーンがいし装置を適用した箇所も確認できた。
<甲信幹線>
甲信幹線(旧名:甲信送電線)
元京浜電力建設の送電線
京浜の名があることから、この送電線は主に川崎の京浜工業地帯への電力供給が目的だったように思えた。
同時に日本初の154kV系統である。
<都留線>
都留線(元甲信送電線)
<相模湖線>
相模湖線
途中の相模湖付近では、都留線へ電源追加している送電線がある。
それが相模湖線になる。
(山梨寄りの送電線)
<早川連絡線>
早川連絡線(廃止の模様)
<榑坪線>
榑坪線
榑坪線・写真ギャラリー その1
榑坪線・写真ギャラリー その2
榑坪線・写真ギャラリー その3
榑坪線・写真ギャラリー その4
途中までだが、この付近には他社設備で、また別の古い上富士川線という送電線がある。
<並木線と身延鉄道線>
並木線と身延鉄道線
<飯富線と杉山線>
飯富線と杉山線
<田代幹線>
田代幹線
田代幹線 357号他 田代幹線のタイダウン
これについては田代幹線のページでも紹介したが、昭和2年の竣工当時の送電塔は、358号にある最後の原型鉄塔を超えて新秦野変電所に入ると
かなりの増強区間となり、その先に関しては、昭和2年竣工当時の原型の送電塔は一切確認できない。
なお、新秦野変電所からその先、川崎変電所までの区間を、現在の送電線路名で追うんだとしたら以下の形になろうかと思われる。
(昭和2年(1927年)竣工の田代幹線の原型の送電塔は、竣工当時は伊勢原を経て、直接川崎変電所までを結んでいたようである。)
田代幹線→新秦野変電所→東秦野線(→相互接続せず。←)秦浜線→京浜変電所→北浜線→(→相互接続せず。←)←北島線→綱島変電所→島崎線→川崎変電所
※北浜線については、北島線とは繋がっていないようだ。
北浜線は途中、港北変電所を起点とした北旭線(4回線のうちの上部の2回線部分)と合流する。
<東秦野線>
東秦野線
東秦野線は、途中にある秦浜線36号、37号鉄塔で、秦浜線と入れ替わる。
送電線が増強されるかなり前は、東秦野線ルートで田代幹線の原型が通っていたのではないのだろうか
秦浜線に関しては、伊勢原の大山寄りのルートを経て、京浜変電所を進んでいる。
なお、そのルートに関しては、建設が進む新東名のルートともやや重なる。
<秦浜線>
秦浜線
秦浜線の送電塔の移設工事
秦浜線の特殊な主柱材
<北浜線>
北浜線
<島崎線>
島崎線
<黒部幹線>
黒部幹線(元:日本電力東京送電線)
元日本電力建設の送電線
<桜ケ丘線>
桜ケ丘線(元黒部幹線) その1
桜ケ丘線(元黒部幹線) その2
以下2つの電線路目も、元をたどれば黒部幹線が通っていた経過地と重なる。
<柿生線>
柿生線
<川崎火力線>
川崎火力線
<安行線>
安行線
<天竜東幹線>
天竜東幹線222号・耐張鉄塔による完全なる原型
天竜東幹線の1928年(昭和3年)製の懸垂がいし
<天竜南線>
天竜南線
元大同電力建設の送電線
<花畑変電所とその周辺の送電塔他>
花畑変電所
こちらの変電所は、元上越幹線の支線(上越送電線路花畑支線)が通っていたり、後述で紹介の内輪線の起点であったり、色々な歴史のある変電所である。
<花畑線(元上越送電線路花畑支線)>
花畑線(元上越送電線路花畑支線)
この送電線はその昔、今でいう上越幹線から分岐されていた支線であった。
その支線もちゃんと名前があって、上越送電線路花畑支線とあったようだ。
しかし現状は、その上越幹線も前述した通り、東埼玉線(元上越幹線)以降は大分送電線の繋ぎ変えがされてしまったから、今はそこから電源を取っているわけではないようだ。
また、その区間の送電塔も今は完璧に建て替えられている。
この辺りはTX(つくばエクスプレス)の六町駅などがあって、開発が進む予定があったから、大分早い段階で建て替えられたように見られた。
もしくは途中、首都高の上部を通過する地点もあるから、その影響で建て替えが早く進んだとも考えられた。
<潮止線>
潮止線
<伊草線(元花葛線)>
伊草線(元花葛線)
<花川線と青井線(花畑変電所付近)>
花川線と青井線(花畑変電所付近)
青井線と花川線 1号、7号他 その1
青井線と花川線 1号、7号他 その2
<蔵前線>
蔵前線
蔵前線を追跡 その1
蔵前線を追跡 その2
蔵前線を追跡 その3
蔵前線を追跡 その4
蔵前線を追跡 その5
↓この先は北千住線↓
※現在は、3回線となった蔵前線の送電線は地中化されたので、起点の花畑変電所から北千住変電所まで、北千住線のみで結ばれている。
<北千住線>
北千住線
北千住線は、現在は花畑変電所が起点で、そこから北千住変電所(千住火力発電所・かの有名だった千住のおばけ煙突のあった跡地)までを結んでいるが、大元の昔は、起点は千住火力発電所であって、そこから花畑変電所へ向けて電気が逆流していたと思われる。
元々後述で紹介の内輪線の起点が花畑変電所であるから、当時の主力だった水力発電所が渇水を迎えた際の代用の電源確保用だとも考えられた。
<以下はそのおまけ>
千住火力発電所跡地(おばけ煙突)の展示物
ここからは少し内輪線を見て行こう。
<<内輪線>>
内輪線は、かつての水主火従時代、花畑変電所を起点としてあるもので、各水力発電所を起点とした猪苗代旧幹線、猪苗代新幹線、上越幹線、群馬幹線、田代幹線などを連系する形で施設されていた6万6千ボルトの連絡用の送電線である。
連絡していたのは、各水力発電所が渇水を迎えた際、うまく送電できないことを想定していたからである。
唯これまた、水力の豊水期などの影響で、電力の安定供給の調整が大変だったようだ。
内輪線のより詳細な説明は、足立線のページで紹介している。
<足立線>
足立線(内輪線)
<内匠線>
(内輪線から分岐された電線路)
内匠線
足立線は途中で内匠(たくみ)線を分岐するが、ここには元々谷塚線が通っていたようで、当時は足立線とは接続していなかったようである。
その航空写真では、足立線(内輪線)の上部を谷塚線が超えているのが見える。印は足立線に合わせた。
谷塚線については、当時は電線路名が花総線だったとも考えられる。
(工事関係者の話によれば、除却時の電線路名は谷塚線であったのを聞いている。偶然にもその工事に携わった年配の方と話をしたことがあった。)
鳩ケ谷線(内輪線)
時既に遅し!
こちらは巡ろうかと考えていた時には既に、大正15年表記のプレートを取り付けた原型は現存していなかった。
なお、この先の鳩ケ谷変電所から北足立線(途中の北足立変電所を超えた先)までの区間は、現状は地中線路となっている。
<北足立線>
北足立線(内輪線)
<練馬線>
練馬線(4回線中、最上部の2回線が内輪線)
<野方線>
野方線(内輪線)
こちらも既に当時物の送電塔は残っていないようだが、当時の主柱材を使った送電塔なら現存している。
だが、まだそれは巡っていない。
<杉並線>
杉並線(内輪線)
<駒沢線>
駒沢線(内輪線)
<千鳥線>
千鳥線(内輪線)
<相武線>
相武線(内輪線)
相武線8号・唯一の矩形鉄塔
これぞ内輪線の形!!・相武線 13-1号鉄塔他!
多摩川横断区間の相武線 23号他
相武線 26号(建て替え済み)
相武線 27号・やや近代構成(除却済み)
<安方線>
安方線(内輪線から分岐された支線)
この先に関しては、六郷変電所を経て、恐らく大師線にもつながっているかと考えられたが、その大師線はどちらかというと、川崎の京浜工業地帯寄りの送電線となるため、奥の方のページで紹介する。
(大師線については、現存していない。)
<西武沼袋線>
西武沼袋線
これは恐らく、内輪線の竣工後、野方線、杉並線辺りから分岐されていた電線路であろう。
<都南線>
都南線と駒沢変電所の展示物
内輪線が竣工するずっと前の大正2年には、峰発電所付近より直接、駒沢変電所まで続くものもあった。
ここでは駒沢変電所を含めて、都南線をちょっとだけ見て行く。
<<群馬県、長野県の歴史的送電線>>
<軽磯線>
軽磯線
<上信線>
上信線
上信線は、試験的にガラスがいしを使用した箇所がある。
上信線(143号)・ガラスがいしでない区間 その1
上信線(143号)・ガラスがいしでない区間 その2
上信線(138号)・ガラスがいしでない区間のタイダウン その1
上信線(138号)・ガラスがいしでない区間のタイダウン その2
上信線のガラスがいし・2018年の初回訪問時は近づけず(169号他) その1
上信線のガラスがいし・2018年の初回訪問時は近づけず(170号他) その2
上信線(191号)・ガラスがいしでタイダウン!国内では激レア構成!2基のみ! その1
上信線(199号)・ガラスがいしでタイダウン!国内では激レア構成!2基のみ! その2
送電塔嵩上げ済みの上信線(192号、193号)・ガラスがいし区間
上信線(194号と195号)・ガラスがいし区間
耐張鉄塔の上信線(196号)・ガラスがいし区間(群馬県版鉄塔カードの壁紙に認定!)
上信線(198号,203.204号)・ガラスがいし区間
上信線・茶がいしの耐張鉄塔と磁器がいし他
上信線にも、途中で電源を追加している小さな歴史的電線路がいくつかある。
今回はその複数ある電源追加電線路の中で、特に見ごたえのあるものを選出し紹介しよう。
それは・・・↓
<川中線>
川中線
<東信線>
この送電線は少し特殊で、2回線とも東信線となっているわけではなく、片方は南佐久線となっている。
東信線
東信線を追跡 その1
東信線を追跡 その2
東信線を追跡 その3
東信線を追跡 その4
(最後は東信線は仮引き留めされ、南佐久線のみとなる。)
<北佐久線>
北佐久線
北佐久線・南佐久線との併架区間
北佐久線を追跡 その1
北佐久線を追跡 その2
<土村第一発電所で使われていた水車の展示物>
土村第一発電所で使われていた水車の展示物他
<小諸発電所構内の送電工事練習用の送電塔>
小諸発電所構内の送電工事練習用の送電塔
<金井線>
金井線
<吾妻川線>
吾妻川線
吾妻川線・セミストレーンがいし装置を適用したもの(一部の懸垂がいしは除く。)
<箱島線>
箱島線
<岩室線>
岩室発電所と岩室線
<片品川線>
上久屋発電所兼開閉所と片品川線
片品川線52号と53号(猪苗代旧幹線と同様の鋼材を使用した区間・現存せず。)
片品川線にも一部、険しい山越え区間で猪苗代旧幹線設計鉄塔が特別に使われた箇所があった。
片品川線・その他の古い送電塔(現存せず。)
<青井線と花川線(江戸川変電所寄り)>
青井線と花川線
青井線17号鉄塔
上千葉砂原公園内の青井線と花川線
<花総線>
花総線の起点鉄塔
花総線
建て替えられた花総線46号
花総線の避雷がいし
花総線67号他、その先終点間際の黄色い美化柱
<<東京都足立区、北区、葛飾区の送電線>>
<領家線>
領家線
<東尾久線>
東尾久線
ここは元鬼怒川線が通っていた箇所であろう。
<鹿浜変電所周辺の送電塔>
<鹿浜線>
鹿浜線
鹿浜線の鋼管1本鉄塔(鋼管単柱鉄塔)
<志茂町線>
志茂町線
志茂町線は特別高圧需要家用に施設されている送電線のようである。
なお、この送電線が竣工する前は、どうやら近郊の内輪線より直接送電線を分岐させ、その特別高圧需要家までを結んでいたようである。
これまた昭和20年代の航空写真で確認済みである。
<岩渕線>
岩渕線
<江戸川変電所周辺の送電線>
(所在地:東京都葛飾区)
<白鳥線>
白鳥線
<奥戸線>
奥戸線
<隅田線>
隅田線
こちらは、電線路名については川の名前になぞらえたようだ。
はて、墨田と隅田の2つの名前が実在するのは、なんだったろうか
<<東京都江戸川区の送電線>>
<船堀橋線>
船堀橋線
<長島線>
長島線
長島線にも奥戸線並みに古い矩形鉄塔がある。
<<埼玉県の送電線>>
<谷塚線>
谷塚線
谷塚線と足立線の背の高い併架鉄塔区間
足立線を紹介したページは既にあるが、ここでは谷塚線との併架鉄塔のため、こちらにページを用意した。
<芝川線>
芝川線の鋼管2本鉄塔
<鷲宮線>
鷲宮線
鷲宮線の矩形鉄塔(現存せず。)
鷲宮線・水平配列区間
<宮代線>
宮代線
宮代線の鋼管鉄塔
<姫宮線>
姫宮線
<山西線>
山西線の片寄せ鉄塔
<天沼線>
天沼線
天沼線は元は岩槻線か
<DOWAハイテック線>
DOWAハイテック線の矩形鉄塔
歴史的な上越幹線の下を通過している引き込み線であろうDOWAハイテック線は、他では見慣れぬ構成の矩形鉄塔が1基ある。
それから、埼玉県版の鉄塔カードに認定されたものとしての記憶も新しい。
ピエロ鉄塔と表現される方もいらっしゃるが、鉄塔カードでは可愛らしい子供と表現されていた。
<<千葉県の送電線>>
<東千葉房総線>
東千葉房総線のドナウ型鉄塔
<松戸線>
松戸線
<八日市場線>
八日市場線
<網戸線>
網戸線
<<神奈川県の送電線>>
<登戸線>
登戸線・門型鉄塔他
<向ヶ丘線>
向ヶ丘線の廃鉄塔
<市ヶ尾線>
市ヶ尾線
市ヶ尾線は、2009年頃まで、一部区間で、東急プラザ線や荏田線を称していた区間があったが、現在は全て市ヶ尾線に統一されている。
なお、市ヶ尾線50号鉄塔では、2015年頃からジャンパー開放されるなどしており、他にも気になる点がある。
<本牧線>
本牧線
本牧線の矩形鉄塔
本牧線・門型鉄塔他
<弘明寺線>
弘明寺線
<香川線>
香川線
<米軍深谷線>
米軍深谷線(現存せず。)
<用田線>
用田線
用田線の犬又鉄塔
<大和線>
大和線の青いがいし
<中綾線>
中綾線
<厚木線>
厚木線
<相模川線>
相模川線
<真鶴線>
真鶴線
<<京浜工業地域寄りの送電線>>
甲信幹線や田代幹線の項目でも紹介させて頂いた通り、元をたどれば送電線は、京浜工業地域へ電力を集中させていたものが多かったから、この辺一帯は送電線が多い。
それも確認してみると、一部では昭和10年代(これは京浜工業地帯本拠地による)や昭和20年代の設備もある。
ここからはその電気を特に集中させていた京浜工業地域寄りの送電線を見て行こう。
<中原線>
中原線
<新川線>
新川線
<市場線>
市場線
<寺尾線>
寺尾線
この辺りは人の苗字のような名前のついた電線路が多かった。
<中島線(元東川崎線)>
この送電線の元の電線路名は東川崎線だったが、その後2回電線路名が変更となっている。
東川崎線→中島線→渡田線
中島線
(一部区間除却・残った箇所は渡田線へ電線路名変更)
撮影時は、電線路名が中島線となっていたため、中島線として掲載
なお、同電線路については、2020年末には一部で地中化されたようだ。
地中化後はさらに電線路名が変更となっており、今回除却されなかった区間は、2021年現在、渡田線となっている。
<渡田線(元々東川崎線・元中島線)>
この電線路は、段々奥の方で地中化されるに連れ、電線路名が変更されている。
渡田線(元東川崎線、元中島線)に実在の唯一のV吊がいし
<川崎競馬場線>
川崎競馬場線(元東川崎線)の仮引き留め鉄塔
この区間については、東川崎線から中島線へ変更とはならず、川崎競馬場線に変更となっている。
そんな送電塔も今ではわずか1基のみを残しており、仮引き留め中だ。
<大師線>
大師線は、安方線(六郷変電所)を経て、その後は多摩川を横断する直前で立ち上がって、東川崎線と合流し、大師変電所へ接続されている送電線であった。
大師線(現存せず。)
安方線の先にも、かつては大分送電塔が古そうな大師線が続いておったが、こちらは近代の開発でなくなってしまった。(地中化の模様)
多摩川横断区間では、内輪線の竣工時期より10数年も早い、大正7年(1918年)竣工の大師線の送電塔も確認している。
なお、大師線については、この先で塩浜東線に接続していた。
埋立地ができる前だから、それまたかなり前のことのようだ。
<<京浜工業地域の送電線>>
(66kVのループ送電・昔)
ここでいよいよ、昔から電気を集中させていた、京浜工業地域(川崎)の送電線を見て行こう。
京浜工業地域の送電線は、架空地線がないのが特徴である。
架空地線がない理由についてだが、これは元々この辺り一帯は海沿いの地域で、雷雲が襲来する頻度が少ないこと、塩害によって、架空地線の取り換えを行うのに手間がかかるからだと思われる。(推測による。)
他には、ある文献では、10年に1度しかその落雷事故が発生しないからの理由で、省略したともある。
<塩浜東線>
塩浜東線
(撮影ならず。)
塩浜東線は、前項で紹介の京急大師線の上部通過の大師線(or大師変電所)より塩浜変電所までを結んでいたが、昭和45年(1970年)には大部分は完全に除却されている。
(昭和35年前後の航空写真で確認済み。振り分け番号もそこから数えるとほぼ一致)
というのもこちらは、京急大師線の小島新田駅〜桜本駅間(後に当時実在の川崎市電が管理)が廃止となった昭和45年(1970年)に、地中化となったようだ。
以降は、最終鉄塔(桜本駅まで線路があった当時から偶然残り続けたであろう唯一の門型鉄塔(16号))がずっと残っていたが、それも2015年(平成27年)には建て替えられ、現在はその最終鉄塔も電線路名が塩島線へ変更となった。
よって、塩浜東線という名の送電線路は、完全に姿を消した。(その肝心な送電塔も撮影ならず。)
なお、塩島線については振り分け番号を辿ると、現在は川崎発電所(JR所有とは別のもの)から続いている塩島線の最終鉄塔という形になっている。
<塩浜南線>
塩浜南線
塩浜東線の次にあるのが塩浜南線だ。
同送電線路は塩浜変電所を経て、コース的に南下するから、そこから塩浜南線となり、京浜工業地域へ続いていた。
(京急大師線の小島新田駅〜桜本駅間の線路があった頃による。(後に当時実在の川崎市電が管理))
昔は末広町線との合流直前にループ送電を行っていたようであるが、現状は塩浜南線も途中で送電線が寸断となっているから、怪しい。
もうじき同送電線路も除却の可能性が出てきた。
なお、年式については、昭和29年(1954年)11月のようである。
塩浜南線・送電線撤去済み区間
<末広町線>
末広町線
こちらは相当古く、昭和10年代の送電塔あり。
<千鳥町線>
千鳥町線
千鳥町線は、2014年頃までは終点の塩浜変電所まで千鳥町線(千鳥町線1号線)として続いていたが、近年、回線数が減らされたため
(正式には、千鳥町線1号線が途中の千鳥町線11号鉄塔で千鳥町線2号線に合流し、次いで下段の塩島線は、塩島線2号線が塩島線1号線に合流しているため)、現在は途中から塩島線区間が存在している。
千鳥町線1号線と、塩島線2号線については、ストリートビューを見る限り、2010年には千鳥町線11号鉄塔で各1回線ずつが合流しているのが見えるから
この時には既に、11号鉄塔より先の千鳥町線1号線と下段の塩島線2号線については、死線だったように見られる。
当時は、塩浜変電所の目の前で、塩浜東線16号鉄塔に支えられながら合計3回線(うち1回線は停止)が引き込まれていたが
今は塩浜東線が建て替えられたので、2回線に減って、塩浜変電所へ引き込まれている。
なお、建て替え後の送電塔の電線路名は、塩浜東線16号ではなく、塩島線5号に変更されている。
<塩鳥線>
塩鳥線
<浮島陸線>
浮島陸線
<<山梨の送電線>>
甲府線のタイダウン
<<木柱や鉄筋コンクリート柱で1回線の送電線を支持したすずらん柱>>
(歴史ある送電線も含む。)
<利根浄化線>
利根浄化線(現存せず。)
<峰線>
峰線
<室田線>
室田線
<ここからは、一部は廃止されているが、送電線の繋ぎ替えや建て替えにより存続している歴史的送電鉄塔を紹介!>
(東京電力管内)
<駒橋〜早稲田間送電線(駒橋線)>
駒橋〜早稲田間送電線(駒橋線)
当初の支持物は木柱で、2回線の送電線をそれぞれ1回線ずつ振り分けて支持していた。
なお、八王子での川の横断箇所については、巨大な鉄柱を使っていた模様
それも鋼材は猪苗代旧幹線と同じく、やはりカーネギー(Carnegie)製のものを使っていたようだ。
文献によっては、これが日本初の送電塔と書かれているものもあるが、本格的な鉄製の送電鉄塔(送電塔)の採用は、塔ノ沢線が初である。
<駒橋発電所と駒橋線の2代目鉄塔>
駒橋発電所と駒橋線の2代目鉄塔
電力需要増加で各地域に変電所も増えたため、駒橋線は現在、直接、早稲田変電所までを結んでいるわけではないようだ。
<おまけ>
2つとも竣工当時の絵葉書ならあるぜい!
そりゃ2つとも日本の先駆けとなった相当な歴史的な発電所と送電線であるから、記念に絵葉書にもなったようだ。
<八ツ沢線>
八ツ沢線
<谷村線>
谷村線(初代)
谷村線(2代目)
<<廃止編>>
<鬼怒川線>
鬼怒川線
同電線路は、足立区では東尾久線に置き換わっている箇所もある。
なお、送電塔の形状は、人がまるでバンザイしているかのようにも見えることからバンザイ鉄塔と呼ばれたこともあったようだが、他にはおいらん鉄塔とも呼ばれたようだ。
おいらんと呼ばれたのは、竣工当時のものとしては、上位の設備であったことが絡んでいるのだろうか
<塔ノ沢線>
塔ノ沢線
文献によっては、日本初の鉄製の送電塔の採用は、駒橋線の八王子での多摩川の横断箇所だと書かれているものもあるが、本格的な採用は塔ノ沢線が初である。
<送電線の地図について>
現在の東京電力管内の送電線マップの全てについては、以下にあるようだ。
電力系統図
昔は東電のホームページを見ても、送電線マップを掲載したページはなかったと思ったが、送電線ファンが増え、送電線の通る位置を知りたがる者も増加したせいか、近年、2014年12月より公開が開始されている。
なお、該当ページには、500kV,275kV,154kV,66kVごとに送電線の通る位置を示した掲載ページがある。
<<<その他>>>
<J-POWER 電源開発社が管理する送電線>
といったら、やっぱり有名なのは只見幹線だろうか
しかしそんな只見幹線も、今では結構旧鉄塔からの建て替えが進んでいる。
<只見幹線>
只見幹線
<佐久間東幹線>
佐久間東幹線
<イビデン社の送電線>
イビデン社の大垣送電線
<古河日光発電の送電線>
古河日光発電の桜ケ丘線のがいしアーム
日発細尾線
送電線の試験設備のようなもの
<細倉金属鉱業社(旧:細倉鉱山)の川口送電線>
細倉金属鉱業社(旧:細倉鉱山)の川口送電線
<日本軽金属社の上富士川線>
日本軽金属社の上富士川線
上富士川線のタイダウン
上富士川線のねん架鉄塔
<JRの送電線>
JRも自社の鉄道の電源用にと、大昔から自前の送電線を施設している箇所がある。
鉄塔の形については、全体的にかなり古い八字型をした個性的な鉄塔もある。(←昭和30年以前)
(※この八字型の鉄塔については、大昔によく氷雪の多い地域で建設されていた。唯、見た目が悪いとのことで、今は新設は見かけない。)
なお、全体的に見ると、JRの鉄塔はまだまだ未更新のものが多く、神奈川では今でも、昭和のとんがり帽子が全くない旧鉄塔も見かけることが多々あるから驚きである。
<国鉄(JR)信濃川送電線>
国鉄信濃川送電線
<新鶴見線>
新鶴見線
<新鶴見-大船間送電線>
新鶴見-大船間送電線
<大船線>
大船線
<堺八王子線>
堺八王子線の4回線矩形鉄塔
<酒折線>
酒折線
<蕨ー金町間送電線>
蕨ー金町間送電線
(廃止・完全除却済み)
<小岩線>
小岩線
起点付近の小岩線
形が変わる区間の小岩線
新中川の横断区間の小岩線
終点付近の小岩線
<川発線>
川発線
川発線を追跡 その1
川発線を追跡 その2
<開閉所及び開閉塔>
開閉所とは:昔々、水力発電所による発電が主力であった大正時代は、2回線による送電電圧154kVの長距離送電が大いに活躍していた。
それもこの時代は、現代のように、所々に何箇所もの変電所はない。
例えば、2回線のうちの片回線が落雷のため故障し、停止したとしよう。
そうとなれば当然、局部的に故障箇所を切り離し、健全回線のみを生かし、互いに連系を取れるようにするためには、途中、送電線のスイッチが必要となる。
それが開閉所(Switching Station)であり、重要な送電線路の途中には、いくつかの開閉所が設けらた。
他には、送電線の点検をしたり、がいし交換を行ったりする時のためにも、開閉所が活用されていたようである。
だが近年は、重要な送電線路であっても、いくつもの変電所が途中に設けられており、そこでいくらでも電路の切り離しができるようになっているためか、今では開閉所という言葉すら、聞くことが大分減った。
今送電で開閉という言葉を聞くのは、新秩父開閉所や開閉サージぐらいであろう。
ちなみに今では、亀戸線と小松川線との連系線でさえも、ジャンパー線の着脱によって、開閉操作を担っている感じである。
(↑そっちの方が多少の手間がかかると思うが、あの辺は大分、今では家やマンションが増え、開閉所を設置する用地がないため、そうせざるを得なくなったようである。)
なお、両者の送電線間にちゃんと開閉所が設けられていた頃の写真については、gooの昭和22年当時の航空写真で確認できる。
この当時はまだ、電線路の途中にしっかりと開閉所らしき鉄鋼が確認できるのが見て取れる。↓
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.52.36.596N35.44.24.408/zoom/12/?data=showa-22:map
<広大な開閉所といえば>
<西群馬開閉所>
西群馬開閉所
<現代でとても有名な開閉所といえば>
<新秩父開閉所>
新秩父開閉所
他の開閉所については、小さなものとしては他に、旧来の生き残りとして杉戸開閉塔がある。
<杉戸開閉塔>
杉戸開閉塔(現存せず。)
この小さな開閉塔は、鷲宮線66号鉄塔から分岐された宮代線2号線部分のみに実在していた。
年式は昭和35年(1960年)3月であった。
こういう開閉塔については、古くて大正期にはよくあったそうだが、近年、こういう設備は全滅傾向にある。
こちらは比較的後に施設されたものだったから、後まで残ったのかと考えられた。
<送電線のがいし・コレクションコーナー!>
近代の懸垂がいしコレクション!
マツコの知らない世界でも放送させて頂いた通り、私は日本ガイシさんからがいしを購入することができる。
古い懸垂がいしコレクション!
5つヒダの懸垂がいし
3つヒダの懸垂がいし
無ヒダ懸垂がいし
<次は、日本の近代化を影で支えてきた、明治、大正、昭和中期頃まで、日本の電力供給に多いに活躍した、昔の特別高圧ピンがいしを紹介!!>
懸垂がいしが登場する前までは、架空送電線の支持には特別高圧ピンがいしが使われていた。
文献によっては、略して「ピンがいし」との表記があるが、これは電圧の高い送電線で使われることから、「特別高圧ピンがいし」ともいう。
特別高圧ピンがいしコレクション!
<<最近入手した送電線グッズ>>
<鉄塔カードコレクション!>
東京電力版の鉄塔カード(栃木県版)
東京電力版の鉄塔カード(群馬県版)
東京電力版の鉄塔カード(茨城県版)
東京電力版の鉄塔カード(埼玉県版)
東京電力版の鉄塔カード(千葉県版)
東京電力と電源開発版の鉄塔カード(多摩地域編)
全国版の鉄塔カード・第1段
全国版の鉄塔カード・第2段
北陸電力版の鉄塔カード 第1段(富山県)
北陸電力版の鉄塔カード 第2段(石川県)
北陸電力版の鉄塔カード 第3段(福井県)
北陸電力版の鉄塔カード 第4段(富山県、石川県、福井県)
北海道電力版の鉄塔カード
東北電力版の鉄塔カード(宮城県)
中部電力版の鉄塔カード(愛知県)
関西電力版の鉄塔カード 第1段
関西電力版の鉄塔カード 第2段
同管内では送電線の本数の多い、ど派手な矩形鉄塔が目立つ。
山陽新幹線からもそのような大型の矩形鉄塔、いや、門型鉄塔といえようものを見た覚えがある。
四国電力版の鉄塔カード
九州電力版の鉄塔カード(限定仕様)
九州電力版の鉄塔カード(通常仕様)
<<参考文献>>
これでわかった送電配電 昭和36年発行
工業技術ライブラリー 30 超超高圧送電 昭和46年1月30日初版発行
(↑こちらの文献には、かつて実在の三角配列の安曇幹線の図面が載っている。)
日本電力株式會社十年史 昭和8年5月10日発行 日本電力株式會社
送電教室 昭和36年5月20日 第1版第3版発行
(絶版過ぎて入手困難であるが、運よくカバーのないものをずっと前に入手!配電教室の本も所有!)
現代送電工学 哲学出版株式会社 1972年10月20日発行
(↑当時の主要幹線に関する情報あり。)
送電及配電 前編(送電之部) 電気之友社 昭和3年11月1日第一版発行
送配電新書 電気技術研究会著 電気書院 昭和33年6月19日 三版発行
朝倉電気工学講座 15 送配電工学 昭和43年5月30日 三版発行
送配電工学 送電編 T 電気学会編 昭和28年11月15日 7版発行
新編 送電配電 電気学校編 電気学校 標準叢書 第三巻 昭和3年4月1日第2版印刷発行
(↑当時の特別高圧ピンがいしに関する情報が沢山ある。)
電気工学ハンドブック 昭和31年2月25日5版発行
(↑Vサスペンションがいし装置!タイダウンがいし装置!それから、セミストレーンがいし装置に関する情報あり)
電力輸送並配電 森 秀著 工業教育會 大正15年4月10日11版発行
小田急五十年史 昭和55年12月27日 小田急電鉄株式会社発行
(↑バンザイ鉄塔の鬼怒川線について学ぶことができた。
小田急の親会社が、かつての鬼怒川線を管理していた電力会社であったのは意外な発見だった。)
その他諸々
<これらの文献もまた、全てを所有!>
私のメインの電柱サイトはこちら!
※当サイトは各電力会社・その他の企業とは一切関係ございません。
※当サイトの内容、文章、画像等の無断転載・無断使用は固くお断りします。
最近、当サイトに掲載中の画像が個人ブログやYahoo知恵袋等へ無断転載される事案が多発しています!!
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(当サイト内の内容をスマホやPCでスクリーンショットをして、それを公衆掲示板やツイッター等のSNSに投稿する行為も同様です!!固くお断り致します。)