中東京幹線(旧送電線路名:西東京幹線)

日本初の2導体を採用した電線路!
※古い文献によれば、八王子辺りで日本で初めて送電線に2導体を採用したとの記録がある。

275kV系統としては、こちらも大きな信濃川の水力を利用した歴史深い架空送電線路となる。
建設当初は最高級の幹線であったそうな。
しかし現状は、歴史深い電線路も中東京変電所付近のものは西上武幹線に置き換わってしまった。

写真左手前は、中東京変電所から北へ数えて、3基手前にかつてあった中東京幹線の原型鉄塔である。
しかしこの区間の中東京幹線も、現在では電力需要増加に伴い西上武幹線に置き換わっている。
奥にある紅白鉄塔のものは、現在交差側の送電線路のみ残して建っており、それが今、かつて中東京幹線が通っていたところを陣取っている。

一方こちらは中東京変電所の北側にて、中東京幹線の最終鉄塔を撮影したもの
(左手前から2番目・1番手前側は奥秩父線)
なお、今はここには別の電線路による66kVの鉄塔が建っている。

中東京幹線中線

一方、かなり北上した電源側方面には、中東京幹線中線という電線路もある。
他にも中東京幹線山線なども実在するらしいが、巡れてない。

鉄塔高はやはり、古いものであるから低い!
当時は鉄塔高が低くとも、電力を通すことに必死だったのがうかがえる。

一方、建設年は昭和26年(1951年)11月の模様。もうかなり早い段階で275kV設計の鉄塔が出来上がっています。
なお、この鉄塔ができた頃の文献を参考にしてみると
元々、中東京幹線の前の電線路名が西東京幹線だったようであり、関東人には聞き慣れない、新北陸幹線と並ぶ古い275kV設計鉄塔になるのだそうだ。
そういったことから、当時の西東京幹線時代では、東京都八王子市内にて、2径間のみで、国内初の2導体も登場したとの記録もある。
しかしいずれも当初は154kVで運用していたらしく、将来電力需要が増えたことを想定して、鉄塔は275kV設計にしていたそうな
そんで今、電力需要が増加した近代では、275kV運用ってなわけですね
(新制送電配電 昭和30年第10版発行を参考 なお、こちらの文献には、西東京幹線時代に、その八王子で最初に登場した2導体の写真も載ってます。まぁ、鉄塔全景とはいかず、がいしがその2導体を吊るしている状況写真でしたが)

なお、187号付近の建設年プレートは未更新のようで、この区間は中東京幹線中線時代?の名残がありました。

一方、電話番号の書かれた看板は普通に中東京幹線になっていた。
東電が公に公開されている送電マップを拝見しておわかり頂けると思うが、いずれも今は、中東京幹線ということになっているようだ。

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