蕨ー金町間送電線

(JRの送電線)

(廃止・完全除却済み)

この送電線は、もう今ではほとんど忘れ去られた未知の送電線といえよう。
当サイト作者も最初は東京電力の谷塚線と勘違いするほどであった。w
この送電線の起点は、蕨駅付近が起点のようで、そこから埼玉県川口市と東京都足立区を横断するような形で、足立区を横断後はいきなり南下!
その後は東京都葛飾区にある金町変電所へ向かっていたようである。
なお、起点である蕨駅以前については、国鉄信濃川送電線(JRの送電線の幹線)がある方から電源をもらってそこまで送電していたのかと思われる。
※ちなみにこの送電線の存在に気が付けたのはこうである。
丁度ユーチューブに、1990年頃に東武伊勢崎線(現:東武スカイツリーライン)から撮られた車窓動画があって、そこに送電線が映った写真があったのだが
これがどうも足立線とは違うように思えて、どうやら他にも送電線があることに気が付いたのだった。
それがこちらの蕨-金町間の送電線だったのだ。
なお、それを確認すると、どうやらその送電線は、平成元年(1990年)頃までは現存していたように見られる。
しかし今では、いろんなところに送電線が張り巡らされており、わざわざ蕨から電源を引っ張る必要もなくなったのか
また、川口市も足立区も、バブル期を迎える辺りから、人口増加に伴い、急速な宅地造成、マンション増加他、区画整理、安全面なども理由などから、完全に廃止となったのかと思われる。

この絵葉書が手に入らなければ、そのJRの送電線は、知ることができなかった。
左の上部を通っているのが蕨ー金町間送電線だと思われる。
次いで右下にあるのは、昭和元年建設の足立線だと思われた。
それについては鉄塔高はかなり低くなっているが、現在も送電塔の嵩上げをしながら当時の主柱材を使用したものは残っている。

この送電線の存在は、偶然手に入れたかなり古い絵葉書でも知ることができた。
JR常磐線が上野から松戸間の開通記念とあるが、これは恐らく、その区間の電化が完了した頃のものだと思われる。
(その区間については、既に明治には開通している。最初は汽車で運行)
電化記念のことから、送電線が絵葉書になったものだろうと考えられる。
なお、この絵葉書については、送電線の下に2条の遮蔽線があることから(これは東武鉄道の架線への誘導障害防止のために施設のものかと思われる。)現在の東武スカイツリーライン(旧:東武伊勢崎線)の谷塚駅付近で撮影されたものかと思われる。
明確な場所を示せば、谷塚第2公園から見て、東武スカイツリーラインの線路を超えたこの辺からの撮影になろうものかと思われる。
gooで公開されている昭和22年(1947年)の写真を確認すると、鉄塔の位置関係などから、そうであることがわかる。
当時は、夜にはカエルの合唱があるぐらいの田舎だったから、戦災は免れたようだ。
それにしてもこの時代は、周囲を見回すと今よりもかなり送電線が多い。w送電銀座といえよう時代である。今ではマンションが増えているので、大分数は減ったようだが。他にも未知の送電線がずらりと見える。w
なお、その送電線の下を通過するのは、東京電力の足立線かと思われる。(いや、この時代は鳩ケ谷線?谷塚線かな?)
下部に足立線が通過する地点については、離隔距離が確保、いや、1条の架空地線もしっかりと施設されているか?JR側の送電線の下には遮蔽線はない。

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