厚木線

厚木線は、厚木北線7号の下段に併架されている海老名西線が起点であり、そこから厚木線4号までを結んでいる。
送電塔は4回線設計であるが、実のところは2回線しか通っていない。
送電線は2回線しか張られていないことから、送電線の支持の仕方については、他では見慣れぬ一風変わったものが続いている。
4回線設計であったのは、将来、その地域の電力需要が増加したことや、特別高圧需要家が増えたことを考慮して、4回線設計としたのかと思われた。
だから厚木北線からも分岐できるようにしたのだろう。
なお、終点の厚木線4号鉄塔に関しては、環境調和仕様の鋼管鉄塔に建て替えたようで、そこは2回線設計となっている。

厚木線の起点は、厚木北線7号鉄塔の下段に併架されている海老名西線である。

ここから2回線の厚木線が分岐されている。

分岐直後の厚木線の送電塔の設計としては、普通に合計4回線の送電線の支持ができそうだが、これは後で2回線減ったのだろうか?
現在は2回線が支持されているが、バランス維持のためか、送電線の位置が少し変わっていた。
4回線分の腕金があるこうした場合は、通常は上部6つの腕金に2回線を架けるのが基本であるが、ここではやや中腹寄りの各腕金に送電線をかけている。
まぁでもこの感じだと、架空地線の遮蔽効果を期待するためにそうしたともいそうだ。
昭和30年年代頃までの送電塔は、まだ架空地線支持の三角帽子はなかった。
当時の旧鉄塔といえば、こうしたイカ型が主流だった。
ウルトラマンのジャミラにも似ているとも言われている。
私はうーん、時代激に出てくる傘帽子を被った人のように見える。w

厚木線1号の拡大はこのような感じ。
最上部の2つの腕金には送電線が架けられていないから、なんだか不思議な感じがした。

横はこんな感じ。

ご覧の通り、ここでは送電線は中腹寄りに架けられている。

年式については、やはりあの頃、昭和36年5月のようだ。
1961年である。
この時代の送電塔は、まだ架空地線支持の三角帽子はないものが基本だった。
(猪苗代旧幹線など、海外の技士が建設を指導した外国製の送電塔は除く。)

1号の反対側はこんな感じ。

続いてこちらが厚木線2号
架空地線支持の三角帽子は後に嵩上げしたようであるが、腕金付近は変わっていない感じである。

今度は耐張鉄塔となるが、こちらもやや中腹よりに送電線を架けていた。
(道路より撮影)

奥の3号と4号はこんな感じである。
見た感じ当時物の送電塔は3号までのようで、終点の4号については最近単一の鋼管鉄塔に建て替えたようで、そこでは2回線の送電線を引き下げているのが見える。

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