千南線

(※多摩川横断箇所は、かつて実在の群馬電力が建設した、群馬幹線のレンガ構造の基礎を流用!)

千南線は、南武変電所から千歳変電所間を結ぶ送電線であるが、大半は川世線と併架されており
単一の送電塔で支持されるのは、登戸線の分岐箇所や多摩川の横断箇所、地中線路の分岐箇所ぐらいである。
なお、千南線の振り分け番号については、単一の送電塔で支持した箇所は、「特」の文字がある。
これには理由がありそうだ。
調べた結果、送電線の振り分け番号に関しては、他の送電線路と併架する場合は、その併架区間も振り分け番号をカウントするが、千南線はカウントされない。
以上のことから、千南線は川世線との併架区間では、振り分け番号はカウントされない特殊なものであるから
川世線と振り分けられた単一支持箇所では、振り分け番号の前に、特殊の特の文字があるのかと考えられた。(推測による。)
なお、ここでは多摩川の横断箇所のみを見て行く。

まず、千南線 特7号はこんな感じだ。

向かいに立つ特8号を含めて、以前は各腕金は、落雪時に送電線が跳ね上がらぬよう(スリートジャンプ対策として)
中相の腕金がいかにも昭和の送電塔らしく大きく突き出ていたが、今はどうやら2基とも腕金を取り換えたようで、全相同じ長さとなっている。

特7号の横はこんな感じ。

特8号に関しては、腕金取り換え後の撮影となった。

年式は昭和29年(1954年)10月とあった。

多摩川の横断箇所はこんな感じ。
かなり送電線がたるんでいるのが見える。

なお、基礎については、レンガで築きあげたものが確認でき、これには思わず歴史を感じたが、千南線の年式は昭和29年(1954年)のようである。
この感じだと、以前は別の送電塔があったようなことも考えられたが、いかがだろうか?
正しくその通り!ドンピシャ!(笑)←使い方あってるか?
かつて実在の群馬電力が発行した、群馬幹線の記念帖に、多摩川横断箇所の群馬幹線の送電塔の写真が載っているのだが
それを見るとどうやらここには、以前、群馬幹線(現在でいう川世線)の送電塔が載っていたようである。

唯、大正11年当時と比較すると、何度も川が大雨か台風で増水した影響で、大分地面が上がってきているのがわかった。
以前はもうちょっとレンガ部分が突き出ていたようである。
また、レンガ構造の上部にある真新しい四角形のコンクリートは、後で増設したようだ。

反対側はこんな感じ!
変な形をしているのは、今の送電塔は、割とスリムな構成でも、高く建設できるからである。
群馬幹線がここにあった大正11年(1922年)当時は、塔脚どうしの幅を大きく空けて、背の高い送電塔があったようだ。

ちなみにその当時の写真については、かつて実在の群馬電力が発行した「第一期 竣成記念帖 群馬電力 大正11年12月25日印刷」に載っている。
そこにあるのは正しく、多摩川横断箇所の群馬幹線の送電塔であった。
基礎を見てみると、正しく、現在の千南線が載っているレンガ構造の基礎が確認できたのである。
今回ここでまた新たな発見をすることができたのだった。
レンガは、東京駅でも使われていたものなのだろうか

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