早川連絡線

(廃止の模様)

早川連絡線は、早川第三発電所から早川第一発電所までを結んでいた送電線である。
送電塔の形状については、氷雪対策を思わす八字型の四角鉄塔も確認しており、相当古いものかと思われた。
なお、途中の経過地については、天畑線(東京発電(株)の雨畑川発電所を起点)の経路を沿った箇所がある。(航空写真で確認)
送電塔の除却については大分前に行われたようであるが、当時使われていた送電塔は、現在も所々の山沿いに残っている。
いずれにせよこの送電線は、天畑線に置き換えられたような気がしてならない。

起点の早川第三発電所

早川第三発電所兼変電所を出た後は

こちらに門型鉄塔があって、そこで田代幹線と早川連絡線を振り分けていたが
現在はその門型鉄塔は建て替えられ、早川連絡線も撤去されている。
なお、ここでは、西山発電所他を起点とした送電線も入れ代わるかのように張られている。

比較的若番方面で確認できた早川連絡線の八字型の送電塔

山を下りた箇所に関しては、送電塔の除却は済んでいるようであるが、山の中の方ではこの通り、まだいくつか残っているものがある。
とりあえずこちらは頂上に見える巡視用の番号札を見る限り、早川連絡線26号のようである。

続いて塔脚付近には、まだ懸垂がいしも残されていた。
これからまた使用予定があるのだろうか

その後は今まで見てきた送電塔を見た感じ、推定年式大正15年頃だろうか、その時代を思わす形状のものが見られた。
大元の田代幹線の竣工時期が昭和2年であるから、あまり大差ないかと思われる。

こちらの送電電圧は66kVであったと思うが、外見が154kVの猪苗代新幹線の原型に似ている気がする。
そういった意味合いで、推定は大正後期か昭和初期頃とした。

こちらも懸垂がいしが塔脚付近に下ろされていた。

山を下りる早川連絡線

早川連絡線の終着地だった早川第一変電所
今はそこは東京発電の雨畑川発電所を起点とした1回線の天畑線に置き換えられている。

続いてそのお隣が早川第一発電所
この発電所は、竣工後まもなくは静岡の浜松方面へ送電していたとあったが(それは恐らく次のページで紹介の榑坪線を経由して静岡方面へ送電していたと思われる。
現在はご覧の通りとなっており、合計3つの送電線路が出入りしている。
このうち同発電所へ引き込まれているのは1つあって、東京発電社管理の雨畑川発電所を起点とした天畑線(送電線は東電管理の模様)である。送電電圧は66kVだろうか
なお、日本軽金属の角瀬発電所を起点とした角瀬線については、ここには接続していないように見られる。
次いで同発電所が起点となっているのは2つあって、うち1つは途中にある田代幹線へ電源を追加している154kVの早川第一線?で、2つは66kVの榑坪線である。
榑坪線については次のページで紹介しよう。

早川第一発電所の水圧鉄管はこんな感じ。
歴史を感じる色合いをしていた。

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