<榑坪線>

榑坪線は早川第一変電所から入山瀬変電所までを結ぶ送電線である。
読み方は、「くれつぼせん」だろうか?
送電塔の形状については、全部で3つあり、1つは腕金の部材数を相当減らした大正期を思わすものがメインだったようで
中にはあの猪苗代旧幹線と同じ「CARNEGIE」の鋼材を使用した箇所もあるようだ。
(CARNEGIE製の鋼材は、他に片品川線の険しい山越え区間の送電塔でも確認済み。※唯こちらについては、建て替えに伴い除却されている。)
2つは腕金の改造を施したのか、もしくは元からこの区間は国産の部材を使用していてそうなったのかよくわからないが
最上部の腕金のみ、まるで逆さになるかのごとく取り付けられているものだ。
これについては、あの谷村線の2代目の送電塔に似たものもある。
3つは相当スリムな形状をしたものもある。
なお、懸垂がいしについては、1924年製を使用していたようであり、一部ではそのかけらが落ちていたのも確認済みだ。
唯、榑坪線の建設年月は、大正9年(1920年)1月のようであるから、がいしの製造年とは4年の開きがあり、一致しない。
この経緯については猪苗代旧幹線と同じで、送電塔の鋼材に加え、当初は懸垂がいしについても、アメリカのものを使用していたことが考えられる。

起点の早川第一発電所
同発電所については、大正12年に早川電力会社が竣工させたようで
当初の発電所の周波数は50Hzで東京方面に送電していたが、その後は一時期、60Hzに変更し、静岡の浜松方面へ送電したという記録がある。
疑問点:同発電所を起点とする榑坪線の建設年月は、大正9年1月とあり、発電所の竣工年とは3年の開きがある。
これは送電線路を先に建設されたと見ていいのだろうか
※日本の発電所 東部日本編 社団法人日本動力協会編を参考
国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧可能

同発電所の入り口付近には榑坪の標識あり
ここが起点となっていることから、榑坪線という電線路名となったようだ。

山の中腹を進む榑坪線
この辺はほとんど、近づくのは不可能

原型鉄塔はこんな感じである。
懸垂がいしの個数はやたら少ない感じに見えるが、海から離れた山の中は、このぐらいの個数が適正なのだろう。

<<榑坪線の送電塔の形状のまとめ>>

榑坪線の送電塔の形状の種類については、冒頭で少し述べた通り、全部で3種類ある。
ここではまず最初に送電塔の形状の種類をまとめた後、JR身延線を使って巡った各榑坪線の送電塔の写真をアップしていく。

     
種類・その1
鋼材はアメリカ製
(初代と思われる送電塔)
種類・その2
鋼材は国産
(2代目に相当する送電塔?もしくはアメリカ製と区間が振り分かれる?)
種類・その3
鋼材は国産
(3代目と思われる。道路の建設などに伴い建て替えたように思われる。)
1つは、腕金の部材数を極力減らしているのが特徴だ。
これが恐らく大正9年当時の原型鉄塔かと思われる。
しかしこの腕金の太さ、がいしの少なさ
後は2条地線の腕金を最上部に取り付ければ、猪苗代旧幹線にそっくりである。
鋼材については、猪苗代旧幹線と同じアメリカのカーネギー(CARNEGIE)製を使用しているようである。
同区間では、実際にCARNEGIEの刻印を確認している。
こちらは送電塔の部材を後で改造されたものなのか
それとも竣工当時から国産の鋼材を使用していて
このような構成だったのかどうかが疑問であるが
プレートは変わらず、大正9年1月とあった。
2つは上相の腕金のみ、逆さに取り付けられているのが特徴である。
これについては私も怒っているかのように見える。
なお、同じ形の送電塔が谷村線(2代目に相当)にもある。
3つはスリム形状であるのが特徴
プレートを見るとこちらも大正9年1月とあったが
これは恐らく昭和30年代頃に建て替えられたものと推測
表でまとめた結果は、あくまで個人の推測になる。

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