上毛幹線

上毛幹線の送電線の建設については、かつて実在の上毛電力が大正15年9月に建設されたようであり、後述で紹介の上越幹線よりも少し遅れて建設されている。
送電が開始されたのは、大正15年(1926年)10月のことであり、当初は伏田発電所より、順次送電が開始されたようである。
次いで、送電塔の形状についてを説明していくが、I吊懸垂鉄塔については、現状見た感じでは、上相の吊り材が全て直線仕様に取り換えられているようであったが
耐張鉄塔については、上相の腕金は、特に改造はされていないようであり、氷雪の多い地域を対象としたデザインで、とても個性的な旧鉄塔が見られた。
なお、伏田変電所以前にある比較的若番方面の送電塔については、追加でそれよりも遅れて建設された区間もあるからか、その辺りでは、昭和2年(1927年)建設が目立つ。

こちらは若番方面の上毛幹線 51号と52号
iPhone XRでパノラマ撮影

52号の拡大写真
この辺りの送電塔の形状については、このような感じである。

続いてこちらは、51号から若番方面の拡大写真である。
この辺りは全体的に眺めてみて、幅広な感じである。

続いてこちらは上毛幹線70号
同じ送電線路であるが、こちらは送電塔の形状に違いが見えた。
上毛幹線の建設は、かつて実在の上毛電力が担っていたようであるが、こちらの送電塔の形は、追加で建設された箇所であるからだろうか、東京電燈が建設したような面影がある。

70号の年式は、昭和2年(1927年)12月であった。

続いてこちらは、大分奥の老番方面へ進んだ箇所の上毛幹線186号付近である。

腕金については、中相と下相のみ、傾斜があるのが見て取れたが、元は上相の腕金も傾斜があったのだろうか?

↑なお、耐張鉄塔については、今も上相の腕金は傾斜あり!
ところで、こちらは51号の耐張鉄塔とは、やや形状が違う気がする。

建設年については、こちらも水力発電所による154kV送電がブームとなった大正末期となっている。

山を切り開いて下りてくる上毛幹線

なお、この後は、群馬幹線へ電源供給をしている模様
(↑新電気創刊10年記念贈呈付録最新日本電力地図(第10巻第1号)付録 昭和31年1月1日発行 オーム社を参考!これを見れば、戦前の旧鉄塔の大半はマスターできる。)

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