北佐久線を追跡 その1

ここからは、南佐久線と振り分けられた後に存在する北佐久線1回線のみとなった矩形鉄塔区間のものを見てゆく。

南佐久線との併架区間を除いた箇所の北佐久線は、元より1回線のみだったのだろう。

1回線のみを支持した矩形鉄塔が見られた。

基礎は戦前構成

続いて80号

架空地線の支持については、I吊懸垂がいし連で引き通しとなっている箇所に関しては、特に三角帽子はなく、腕金の上部で直接、架空地線を支持している。

懸垂がいし連は2連

さて!年式についてだが、北佐久線のみとなっている区間については、南佐久線との併架鉄塔区間のものよりも3年若く、昭和5年(1930年)とあった。
南佐久線と併架される東信線も大正8年(1919年)であるのを確認しているし、この辺で歴史ある送電塔の中では、こちらが1番若いように思える。

81号

架空地線支持の三角帽子については、耐張鉄塔のみある模様

後は特に変わらず。

この先は近づけないものもあるため、飛び飛び。

ここは最近建て替えたようで、三角配列とした1回線の送電塔がみられた。
やはり最近では水平配列にするよりも、このように背の高い送電塔を建てて、送電線の配列もまた三角配列を基本としているようである。

谷底地点の送電線を支えている97号からは、再び当時の原型らしき1回線の矩形鉄塔が確認できた。

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