駒橋発電所と駒橋線の2代目鉄塔(駒橋〜早稲田間送電線)

さすがに今は早稲田までは直接接続はされていないが、現在も駒橋発電所から続いている2代目鉄塔が存続しており、ここでもかなり古そうな鉄塔が確認できる。
なお、現状の経過地は、次項で紹介の谷村線(2代目)から続いており、駒橋発電所〜八ツ沢発電所〜橋本変電所の順となっている。
年式については、昭和17年(1942年)のようであるが、駒橋線の送電塔は、後に嵩上げされた箇所の送電塔も目立っている。
ちなみにその嵩上げ箇所の建設年が昭和17年とあったが、これは間違いかと思われる。
一方で、なんら改造や嵩上げされていない方の送電塔の建設年が昭和47年(1972年)を示していたが、これが正式な送電塔の嵩上げ時期だと思われる。 これについては、付近の送電塔で嵩上げを行った際、取り違えられたのかと思われた。
(以前もあったが、かつて現存していた山越えの片品川線の建設年も、カーネギー製鋼材を使ったもので、昭和29年建設を示していたものがあった。)
送電塔の嵩上げラッシュが始まったのは、大体その昭和45年前後のことである。
昔の送電塔は鉄塔高が低かったため、昭和45年前後に住宅の増えた土地では、安全面のために送電塔の嵩上げがされていた。

起点の駒橋発電所とその看板
水力発電所が次々とできあがった、明治末期〜大正時代は、水力発祥の地と言われる程の大規模水力発電所であった。
なお、発電所の構内(変電装置のある方)には展示物もあるが

社有地のため、中には入れず、唯そばにある道より、鹿留発電所でかつて使われていた水車を見れるぐらいである。
その横には案内板もあるが、入れないのであまり意味がない気がする。
内容の確認は、ズーム式カメラで撮影する他ない。

さて、展示物の水車の詳細であるが、これまた別の鹿留発電所竣工当時の大正2年から昭和60年頃まで使われていたものだそうだ。
銘板の右側には、恐らく水車の製造年であろう1912年との表記が見える。

さて、ここからは送電線の紹介だ!
こちらは、架空地線の三角帽子は後から嵩上げされたように思えたが

建設年は昭和17年を示していた。

続いてこちらの14号
中央高速を超えるのと同時にタイダウンを適用した箇所で、送電塔はどうみても嵩上げされているように思えるが

建設年は昭和17年を示していた。

続いてこちらの23号
こちらは防錆塗装以外、なんら嵩上げや改造はされておらず、完全なる原型に思えるが

建設年については、昭和47年を示していた。
いや、これは嵩上げ時期の年式だと思われる!
こちらに書かれるべき正式な建設年は、昭和17年のはずである!

続いてこちらの37号周辺
山ではなく農地を通過する箇所については嵩上げ済みのようであるが

建設年は嵩上げ前の昭和17年を示していた。
いや、こちらの嵩上げがされている方が、昭和47年のはずである!
2代目の駒橋線の送電塔は、見た感じ、結構多くのものが嵩上げされているから、その時に取り違えられてしまったのだろう。

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