甲信幹線

(旧名:甲信送電線)

※日本初の154kV(十五万四千ボルト!)

建設:かつて実在の京浜電力が主に神奈川の京浜地域向けに建設
但し後の管理は東京電燈の支援を受けて、戦後まもなくは、東電所有の電線路となった。

甲信幹線は日本初の154kV系統!
送電線路名の名前については、名のごとく、甲信越地方(新潟県を除く)を縦断するように送電線が張られているため、そのような名が付いたのかと思われる。
この電線路は主に、京浜地域向けの電源として、起点の龍島発電所から終点の旧横浜変電所(現:戸塚変電所)までを結んでいた。
なお、現在については、途中の塩尻開閉所で開閉所を挟み、大町線(旧:高瀬川送電線)と合流しながら、山梨県の甲府市まで甲信幹線という電線路で続いており、現状その先は電線路名が都留線となり、橋本変電所へと続いている。
(現在の電気の流れとしては、甲信幹線は、橋本変電所→港北変電所→綱島変電所→川崎変電所の順かと思われる。)
ちなみに大元の昔の甲信送電線時代は、戸塚変電所(旧:横浜変電所)までを甲信送電線という同一電線路名で結んでいたようであるが、現在は直接、戸塚変電所へ向かう電線路は現存していない模様だ。
現状は、港北変電所辺りで大きな275kVなる北浜線が建設されており、それが戸塚変電所へ続いている。

京浜電力の歴史が載る京浜電力株式会社改革誌

中には当時の甲信送電線の経過地図も!
なお、これについては、詳細図が国立国会図書館のデジタルコレクションでも閲覧できる。^^コマ番号29にあり!
赤い実線が当時の甲信送電線路となるが、確実に現在でいう戸塚変電所へと続いているのが見て取れた。

起点の龍島発電所・変電所の様子(絵葉書より)

甲信幹線48号

京濱電力株式會社第一期工事による絵葉書によれば、この送電線が竣工したのは大正11年12月23日とあるようだが、実際の鉄塔のプレートの建設年は、大正12年(1923年)3月と書かれている。

一方こちらはお次の47号
I吊懸垂がいし装置を用いた旧鉄塔で、送電線は引き通しです。

なお、大雪の多い地域では、積雪圧により、鉄塔の水平材や斜材が押し曲げられてしまうことがあるため、内陸の鉄塔よりも斜材が大きく広がっているのが見て取れる。
特に積雪圧は雪溶の春先に多く発生するのだそうだ。

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