杉戸開閉塔

(現存せず。)

前のページでは、50万ボルト送電線路の開閉所を紹介したが、実は開閉所については、66kV以下の送電線でも存在していたようである。
唯こちらは、塔の上に小さくスイッチを役目を果たすものがあるからか、開閉所ならぬ開閉塔とあった。
こうしたものについては、特に大正の頃に多く普及していたようであり、66kV以下の小さな送電線の場合は、開閉塔といっていたようだ。
さて、ここ杉戸に開閉塔があった理由はこうだ。
杉戸開閉塔は、鷲宮線66号鉄塔から分岐されゆく宮代線の1号鉄塔(撮影時、片回線のみ)に実在していた。
宮代線の起点は変電所ではなく、他の電線路から直接分岐されたものであるから、丁度その宮代線1号鉄塔に開閉塔があったのかと考えられた。
他には、この先の宮代線の送電塔で、将来保守や塗装作業すること、または事故(接地、短絡など)を想定して施設していたのかと考えられた。
(故障時は健全回線のみを残し、それを活かして稼働するなどしていた。)
また、宮代線は2回線の送電線であるが、写真撮影時は片回線(1号線のみ)にしか開閉塔が実在していなかったが、プレートには「1号-甲」とあったから、昔は両回線とも開閉塔があったと考えられる。
片回線のみ残っていたのは、1号線だけでも何等か保守作業を行う上で、少しでも負担を少なくするため、残っていたのかと考えられた。
しかし今では、保守を行う上でも特殊な工法があるのか、残った1つの開閉塔も除却されている。
それでは見て行こう。

杉戸開閉塔は、鷲宮線66号鉄塔から分岐された直後にあった。
(撮影時、宮代線1号線部分のみ)

こちらは宮代線2号
送電塔はつい最近建て替えられたようで、綺麗である。形も近代構成である。
見積もって建て替え時期は、わずか数年前だろう。

遠くから撮った宮代線1号線部分の開閉塔である。
開閉部分は長幹がいしかラインポストがいしのようなもので支えてられていた。

横はこんな感じ。

スイッチの役割を果たすのは、銀の鉄の部分であろう。
あの位置を移動させることで開閉操作を行えるようにしていたようだ。

杉戸開閉塔の上部写真
昔の送電線にあった開閉塔での開閉操作は、縄を回して行っていたようであるが、現状は縄ではなく何か鉄の棒のようなもので操作する構造となっていた。
また、開閉塔を施設する場合、送電用がいしは特別高圧ピンがいしを使用することが多かったようだが、ここはその姿は一切なく、近代の長幹がいしへと置き換わっていた。
ご覧の通りの近代設備である。

開閉塔があったのは、宮代線の1号線部分であった。
2号線はなし。

プレートには1号-甲とあったから、どうやらかつては開閉塔は2つあったように思えた。
それにしても年式は古い。昭和35年(1960年)3月とある。
開閉塔については、遅くてこの時期まで普及していたようだ。

宮代線の杉戸開閉塔の看板

反対側はこんな感じ。

宮代線はこちらの鷲宮線66号から2回線となって分岐されていた。

鷲宮線66号の看板はこんな感じである。

参考文献:電力輸送並配電 工業教育會 大正15年4月10日11版発行

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