特別高圧ピンがいしコレクション!

ここでは、日本の近代化を影で支えてきた、明治、大正、昭和中期頃まで、日本の電力供給に多いに活躍した、昔の特別高圧ピンがいしを紹介!!

特別高圧ピンがいしについては、現代の円盤型懸垂がいしが登場する前の明治〜昭和中期頃まで、架空送電線路の支持用として大いに使われていた。
だが、途中より機械的強度が問題となったため、昭和30年代以降は、製造中止、以降は現代の円盤型の懸垂がいしが主流となった。
なお、特別高圧ピンがいしが姿を消したのは、支持物に鉄柱や木柱を使った送電線が減ったことも関連すると思われる。
種類については、「がいし」とは?のページでもご紹介させて頂いた通り、10号〜60号までの6種類が存在する。(例外として70号もある模様。それは77kVの谷村線が該当していた模様。)
ここでいう、10号から60号は、例えば、特別高圧ピンがいし10号は、1万1千ボルト(11kV)で使われ、(以下略称)50号ピンがいしは5万5千ボルト(55kV)の送電線路で使われていた。
なお、かなり古いものだと、茶色に塗られたものも実在しており、これまた種類は豊富である。
また、10号〜60号といってもメーカーごとに寸法も多少の誤差もある。
(※特別高圧とは、送電電圧が22000V以上で、発電所から変電所間、もしくは変電所間から変電所間を結ぶ電線路(送電線)を示す。
なお、送電線の定義については、電圧が高いイメージがあるが、少なからず電圧が低い送電線も実在しているため、電圧絡みで判定するのは好ましくないと思う。
送電線は電線路の途中に、変圧器など負荷のかかるものが一切装柱されないものとして、とらえたほうがよいかと思う。)

・特別高圧ピンがいし・10号

こちらは大阪陶業製(大陶碍子ともいった。)で製造年は不明

こちらは日本ガイシ製で製造年は不明

同じ10号と思わしきものでも、大きさについては、メーカーによっては多少の違いがありそうだ。

・特別高圧ピンがいし・10号
(断路器に付属のものによる。)

これまた相当昔に使われていた断路器であろう。
断路器はナイフスイッチの1種で、別名、ジスコンスイッチともいって、変電設備(室内型の受電設備も含む。)で避雷器などを保守点検する際に、回路を切り離す役割で使われていた。
唯、断路器の開放操作を行うには、大元の回路を切ってからでないとアークが発生するなどして大変危険であるから注意が必要
そんなようなことが、文献に書かれていたな。
それはさておき、断路器自体を絶縁するために、そこでもまた特別高圧ピンがいしを使用する場合もあった。
唯その場合は、上部を削ってある専用の特別高圧ピンがいしを使用するが、これについては、通常仕様のものをそのまま使用したようにみられる。
がいしそのものは、磁器片の数や大きさ的に10号にみられるが、左右では若干、がいしの形状が違うのも見て取れる。
10号ならば、1万ボルトまでは耐えられる構造であるから、何か1万ボルト以下のもので使っていたのだろう。
それからがいしのボルトについては、腕木や腕金ならぬ、アングル用の短いものを使用している。
なお、がいしの製造メーカーや製造年などは不明である。
値段的には、現在使われているジスコンスイッチよりも2万円は安かった。
唯これは、もう規格外であるから、実使用は不可能であろう。
電気の歴史を語る博物館級の展示品として、所蔵しておくほかない。

・特別高圧ピンがいし・20号

続いてこちらが特別ピンがいし・20号

製造年は1959年(昭和34年)6月

ちなみにこれは、早くて明治や大正期のものでは、茶色に着色されたものも普及していたようである。
用途としては、支持物に木柱や鉄柱を使用した、小さな架空送電線路の引き通しで使っていたように思える。
製造年と製造メーカーは、印字のないものが多いが、相当前の特別高圧ピンがいし・20号と思われる。
なお、特別高圧ピンがいしを木柱の腕木、あるいは鉄柱の腕金に取り付けるためにある下の金具については
通常は、銀色のシンブルピン(ベースピン)を使用するのが基本であるが、中には配電線で使われるようなボルトを使用したものもあったようである。

上から見た写真
電線が通っていたような形跡が見られた。
電線は、がいしの上で一旦、2手に分かれていたようである。

・特別高圧ピンがいし・30号

こちらは30号特別高圧ピンがいしで、白のコレクションは2つあり。(笑)

もう1つのは、製造年はかなり古く、1949年(昭和24年)4月製造であった。

ちなみにこちらも、大正期を思わす茶色も入手!
なお、ボルトについては、ベースピン金具ではなく、配電用がいしで使われるようなものを使用している。

相当前のものは、製造年と製造メーカーの印字のないものが多い。

・特別高圧ピンがいし・40号

続いてこちらが、40号特別ピンがいしである!
40号で既にどでかい!重さはなんと17kg!!
製造メーカーは大阪陶業製で、製造年は不明

・特別高圧ピンがいし・50号

そして!50号特別高圧ピンがいしも運よく入手!
これは奇跡だ。(笑)
何やらこれまた偶然にも、がいしを逆さにして、鉢植えとして売られていた。

なお、製造メーカーについては、「風」と「KYOTO」の文字が特徴である、歴史ある松風工業製だ。
ちなみに同社のがいしは、明治150年記念「日本を変えた千の技術博」でも展示された程の絶品でもある!!
同社は、1906年(明治39年)に3代の松風 嘉定によって京都に設立された歴史ある企業であり、創業して間もない頃は、日本のがいし製造メーカーの中では、3大メーカーの1つであった。
だが現在は、がいしの製造は手掛けていない。
同社の高圧がいし(特別高圧がいしを含む)の製作部門については、日本ガイシさんの社史によれば、1964年(昭和39年)に解散したようである。
それから製造年についてだが、2599-6と書かれているのが見えるが、これは皇紀表記のようである。
これについては、正に上記の皇紀2599年(1939年)から太平洋戦争が終わるまでの間は、皇紀表記で製造年が印字されていたようだ。
なお、ネットで西暦に直してみると!驚きの昭和14年!(1939年)6月製造であることがわかった!

最後にこちらは、かの有名な鬼怒川線のバンザイ鉄塔で使われていたかのごとく大型の特別高圧ピンがいし・50号である。
(実際のところ、あちらは昭和3年(1928年)11月製であったそうだがな。)
日本ガイシさんの製造品であり、トンネル窯で焼かれた証であるTUNNEL KILNの印字まである。

大きく突き出た部分は、まるでカウボーイハットのようにも見える。
そういえば、最近ではこのような形をしている室内灯も出ているような気もする。
ちなみに前所有者の話によると、丁度鉄柱からこのがいしの撤去作業を行っていた際、偶然譲り受けられたのだそうだ。

「TUNNEL KILN」の文字は、戦前の懸垂がいしではよく見かけるが、特別高圧ピンがいしにその文字があるのは、非常に珍しいのだそうだ。
私は他にも日本ガイシさんの製造品である特別高圧ピンがいしを所有しているが、確かに「Tunnel Kiln」と書かれた特別高圧ピンがいしは、他にない。
正しくこれは博物館級である。
製造年は1948年(昭和23年)6月製であった。
太平洋戦争終了後に製造されたものであるから、西暦表記に戻っているのがわかる。
こうして、今となっては多少貴重な特別高圧ピンがいしについても、50号までコレクションが完了しているのであった。(笑)

残すは特別高圧ピンがいし・60号!!あれはとてつもなく重そうだけど、家に置けるかなw

・最後の最後に特別高圧ピンがいし50号と10号の比較

特に大きなものについては、地震で崩れても大丈夫なように、座布団を何重にもして、押し入れにしまってある。
できれば見えるところに置いておきたいが、いつ起きるかわからない地震大国に備えようものなら仕方がない。

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