横浜火力南線

横浜火力南線は、子安変電所兼開閉所を起点として、これより一気に北上し、旭変電所までを結んでいる。
次いで、横浜火力南線の下に併架されている66kVの子安線については、これとは逆の旭変電所を起点としている。
また、横浜火力線については、他に北線もあるが、こちらは南線とは全く別のルートを通っている。
なお、年式については横浜火力南線の方が古いようで、架空地線支持の三角帽子のない旧型の送電塔が確認できる。

横浜火力南線の起点である子安変電所・子安開閉所

子安変電所・子安開閉所を出発する横浜火力南線とその右側に横浜火力北線
こちらは変電所から引き出し直後の1号の門型鉄塔である。

ちなみにこちらは、裏側の階段付きの鉄鋼も目立った。
メンテナンスのためのものだろうか

続いてこちらが2号

出発直後は、付近の配電用変電所へ電源供給するため、別の66kVの送電線も併架する。
なお、そのうち横浜火力南線の方に併架されているのは子安線だろうか、よく見えなかった。

このページではまず、横浜火力南線の方を見て行く。
とりあえず見た感じでは、それの方が古いようで、こちらは昭和32年(1957年)8月建設とあった。

やや遠目で横浜火力南線3号鉄塔を見るとこのような感じ。
周囲は結構、山の上に建てられた住宅に囲まれており、奥には横浜のランドマークタワーも見える。
ここではそんな中、昭和の古い送電塔が立っている。

ちなみにここは、架空地線支持の三角帽子は後付けしたような感じだろうか
恐らく元は、南武線の原型鉄塔のように、架空地線支持の三角帽子はないはずだ。

また別の場所より・・・

続いてこちらは4号である。

こちらは1基飛んで6号

撮影当日はかなり天気が良く、インスタ映えしそうなぐらいにまで、よく晴れてくれた。
(私はインスタには投稿しないから、正直なところはわからんが・・・w)

6号のプレート
これも原型なのだろう。年式は変わらず。
なお、懸垂がいしについては、近代の耐塩型の懸垂がいしとなっていた。
この年代の送電塔だと、外ヒダが一回り突き出た旧型のスモッグがいしが見れるとでも思っていたが、そこはどうやら防錆塗装時に取り換えたようだ。

なお、6号については送電塔の下に歩道が整備されており、中々撮ることができない塔内の写真も撮ることができた。
東電管内では、支社によっては、塔内の下に入るのを禁じている所もあるようだが、ここは別だ。
(特に千葉が厳しいようで、今回の例のように普通に入れそうな場所でも、墜落の危険があるから中に入るな的な注意書きを見たことがある。)
他には、送電塔の真下というのは電界も発生しやすいのだそうだ。

6号の看板

反対側はこんな感じ。

架空地線支持の三角帽子については、耐張鉄塔については後に嵩上げされた感じだろうか?

続いてこちらが7号

7号は正しく当時物らしい形をしておった。
架空地線支持の三角帽子は、ここは追加されていない。
これぞ正真正銘の昭和30年代頃までの形である。
エルビスプレスリーの時代だ。

なお、7号についても送電塔の下に歩道がやはり整備されており

ここでも塔内を見上げた写真を撮ることができた。

プレートはこんな感じ。正真正銘の年式を示している。
昭和30年代頃までは、送電塔の架空地線支持には三角帽子はなかった。

7号の看板

反対側はこんな感じ!

今回はよく晴れてくれた。^^

さらに反対側^^

続いてこちらは8号
こちらは角度を振った角度鉄塔であるから、送電塔はやや斜めにして立っている。

今撮影した8号、7号、6号を付近の歩道橋から撮るとこんな感じとなった。

続いてこちらが9号

さらにもう一枚!

続いてこちらが10号になるが、ここはやや違和感のある形となっていた。

違和感があるのはころびのある下の方である。
角度鉄塔のためか、こちらは少し特殊な形となっているようだ。
左側の主柱材に大分ころびがある。

続いてこちらが11号
耐張鉄塔については張力が加わるためか、やはり架空地線支持は三角帽子付きである。

続いて12号
ここでまた送電線は引き通しのI吊となっているためか、架空地線支持は三角帽子なしである。
防錆塗装は白っぽいようで、それがやたら映えそうに見えたのだった。

やや近距離はこんな感じ!
これぞ正しく昭和の形!
いや、この形状については早くて大正期には普及していた。

この感じだと後数年は持ちそうだ。
長いところでは100年以上持たせてるのもある。
なお、こちらは上部の方はやや塗装が剥げたようで、錆びも見られた。
どうやら風当りの強い上の方が、それは一番剥げやすいようだ。

なんとか隙間より12号の看板が撮れたが、プレートは見れる位置にはなかった。

続いてこちらが13号

付近では最近、首都高から第三京浜、東名の横浜青葉JCTまでを結ぶ横浜北西線という高速と馬場出口ができたようだ。
なお、高速の出口の地下トンネルのカーブは、なんとかその13号を避けるかのようにできたようだ。
送電塔の下にトンネルを通すのは到底無理であろう。
抜け落ちそうで怖い。

続いてお隣の14号は建て替え済みのようで、近代構成となっていた。
なお、架空地線の支持については、周囲の将来の建て替えに備えてか、一応、2条の架空地線が支持可能の設計となっている。

こちらが15号になるが、こちらはかなり背が低くなっていた。

反対側はこんな感じ。

続いて16号となるが、こちらは頂上を少し嵩上げしたように見られた。

落雷被害が多かったのか、架空地線は少し高い位置に置き換えたようだ。

プレートにあるのは、嵩上げと架空地線の置き換え時期だろうか

続いてこちらが17号

反対側はこんな感じ。
右側の雲がまたいい感じだ。

続いて18号は建て替え済みのようだった。
なお、この付近には北寺尾変電所があり、ここではそこへ向けて、下段の2回線の子安線?より送電線を分岐していた。
見た感じ配電用変電所のようだ。

北寺尾変電所の看板

付近の坂道より振り返るとこんな感じ。
右手前より今見てきた18号、17号と並ぶ。

ここからでも15号はやたら低いのがわかる。
低い次の16号でいきなり背が高くなるから、あの辺への落雷率も高かったのかもしれない。
それで架空地線支持の腕金をあそこは少し嵩上げしたように見られた。

続いて19号
こちらはマンションの横にあった。

20号は小高い山の上に
神奈川ではよくこういう感じで立っているものも見かける。
後はこの先は興味のない建て替え区間が目立つから、一気に終点の旭変電所付近まで飛ばす。

終点間際は、出発時一緒だった横浜火力北線と併架される。

ここでは、中腹にあるのが横浜火力南線だ。
最上部は横浜火力北線で、横浜火力南線の下には旭変電所が起点の66kVの保土ヶ谷線が通っている。
なお、その送電線は、横浜火力北線14号鉄塔で妙蓮寺線と入れ替わるようだ。
(保土ヶ谷線はその先で妙蓮寺線と併架され、横浜火力北線のコースから外れる。)

なお、横浜火力南線の下に併架されていた子安線については、その直前にある22号で振り分けられているようだ。
ちなみに子安線の起点は旭変電所が起点となっているようで、横浜火力南線とは電気の流れ方は逆方向のようである。
(振り分けられた後の子安線の振り分け番号が4号となっている。)

さらに接近した写真はこんな感じ。

ここでは横浜火力南線も併架されているものとなっているが、振り分け番号と看板は、横浜火力北線の方に合わせられていた。
そしてその後は

お隣の横浜火力北線47号鉄塔で振り分けられ(ここでは下段の2回線が横浜火力南線)、左側の旭変電所内の門型鉄塔で終点となっていた。

最後は飛び飛びの駆け足となってしまったが、横浜火力南線のレポートはこれでおしまい。
次はお隣の横浜火力北線を追跡した結果を見てみよう。

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