横浜火力北線

横浜火力北線は、横浜火力南線とは通るコースが大幅に違っており、子安変電所・開閉所を出発後は、大きく西へ進路を変えて、途中、いくつかの配電用変電所を通りながら旭変電所へ向かっている。
なお、横浜火力北線の下に併架されている2回線は妙蓮寺線である。
ちなみに年式については、送電塔はやや近代的な形をしているが、年式は昭和37年(1962年)のようである。 それでは見て行こう。

起点の子安変電所・開閉所

横浜火力北線の起点もこちらとなっている。

変電所からの引き出し口はこんな感じである。
ここでは写真右側が横浜火力北線の1号になる。

次いで右側が2号鉄塔

3号

3号より妙蓮寺線と併架されるようだ。

ここでは3号は右側に

変電所入り口方面から3号とそのお隣の4号を撮るとこんな感じ。

4号からは長いごと塗装がされていないようで、錆びが目立っていた。

続いて5号
ここまでの錆び具合だと部材交換や防錆塗装では難しい感じだろうか
なお、横浜火力北線の送電塔は、見た目からするとやや近代構成に見えるが、結構古いことがわかる。

年式は昭和37年(1962年)10月とある。

5号の近距離写真はこんな感じ。

続いて6号

ここでは何やら下段の妙蓮寺線より、地中線路を分岐しているのが見えた。

それにしてもここは、がいしも当時物であろうかと思うぐらいの錆びである。

製造年の確認までは至らなかったが、恐らく当時物ではないだろうか
なお、がいしの製造メーカーについては、円のようなマークが見えることから、大阪陶業製(現:日本ネットワークサポート社)であるのがうかがえた。

続いてその先の7号、8号を遠目から見るとこんな感じである。

写真右側より、7号、8号、9号、10号、11号の順

こちらは7号

最後の防錆塗装は昭和52年(1977年)に行われたとある。

8号

9号、10号、11号・・・

文字が消えかかっており、見えにくいが9号のプレート

10号のふもとで振り返るとこんな感じ。

左側より5号、4号、3号

5号、4号

3号

その奥では丁度、横浜火力発電所の煙突も

引き続き追跡を続行するが、私の追跡は、全ては撮らない。

11号のプレート

12号

その右奥に、16号、17号、18号、19号

ここで12号の拡大

なお、振り分け番号順に行けば次は13号になるはずだが

次にあるこちらの紅白鉄塔は、14号となっているようだ。
そしてその次は16号、17号と続くから、何基か送電塔を減らしたように見られた。

ちなみにその奥の16号、17号側からは、旭変電所から逆流してきた保土ヶ谷線が横浜火力北線14号で進路を変え、写真奥へ向かっている。
続いて、横浜火力北線と共に追跡してきた妙蓮寺線は、これより保土ヶ谷線と併架されるようになる。
いわばここの横浜火力北線14号の紅白鉄塔では、妙蓮寺線と逆流してきた保土ヶ谷線を入れ替えている感じだ。

奥にある保土ヶ谷線と妙蓮寺線の併架

振り分け番号が2基飛んだ横浜火力北線(子安変電所が起点)16号からは、保土ヶ谷線(旭変電所が起点)との併架区間となる。

ここで30基程飛ばし、横浜火力北線41号だ。

この辺りの年式は1年若く昭和38年(1963年)9月とあった。

続いて42号

43号の次でJRの送電線(新鶴見〜大船間送電線)を超えている。

そしてその後は、横浜火力北線47号で横浜火力南線と併架され

47号、48号と続き、ここで旭変電所へ引き込まれる。

この辺りの年式は、さらに若くなっていた。
昭和39年(1964年)3月とある。

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