花畑変電所

(花畑:はなはた)

変電所の竣工年:昭和2年(1927年)4月

花畑変電所、ここはその昔、信濃川の水力を利用した上越送電線(現在の湯宿線、水上線、上越幹線などに相当)の支線(上越送電線路花畑支線)が来ていた歴史ある変電所である。
しかし現在では、上越送電線の支線も大分接続が変更され、送電塔も近代的なものになっている。
現在、その送電線路名(上越送電線路花畑支線)については、直接、上越送電線からは接続されておらず、電線路名も変更され、花畑線となっている。
なお、花畑線の最終鉄塔については、花畑変電所の北東方面に位置している。
続いて、花畑線の北側には、潮止線という送電線がある。
こちらについては、基本は4回線同時併架のものが目立つが、終点の花畑変電所の直前では、送電塔が2基(2回線)ずつに振り分けられる。
潮止線も早い段階で結構建て替えた箇所があったようだが、終点箇所については、大分古いようで昭和36年(1961年)12月建設が確認できる。
(昭和36年当時の花畑変電所及び、上越送電線路花畑支線、潮止線、後述で紹介の蔵前線については、偶然にも、東京都が公開している環七建設時の動画でも確認できる。
建設中の環七をまたぐようにして確認できる大きな3基の3回線鉄塔が蔵前線だ。まぁその蔵前線も廃止されてしまい、今や北千住線のみとなってしまったがのう・・・)

それから、これは世間的な話となるが、2005年8月には、TX(つくばエクスプレス)が開通し、変電所の西側方面に六町駅ができたが
駅ができてからは、変電所周辺(特に東側)の古い家は、大分立ち退きがされて、新築の物件が多く建ち始め、花畑変電所周辺の送電塔もいくつか建て替えを余儀なくさたものもある。
それが変電所北側の足立線である。ここでは昭和元年建設の内輪線時代の送電塔も現存していたのだが(当時物は主柱材による)、それらについては鉄塔高不足のためか、17号だけを残し、2013年に建て替えが行われた。
なお、足立線については、途中、内匠線を分岐している箇所があるが
丁度、その内匠線の分岐をしている送電塔付近では、かつて、谷塚線が足立線の上部を通過していたような形跡がgooで公開されている昭和38年の航空写真で見受けられる。
ちなみにだが、その谷塚線については、現在、京北変電所を起点とし、東武スカイツリーラインの線路を超える少し前の地点で地中線となっているが
どうやらかつては、その内匠線を分岐する箇所とその先にある現在の花総線1号鉄塔がある箇所まで、谷塚線は架空送電線のまま続いていたような形跡がある。
こうした結果により、谷塚線は、元は花総線であったようにも思えたが
古い送電線路図を見る限りでは、足立線まで続いていた谷塚線については、一旦、花畑変電所に入った後、花総線方面へ向かっているのが確認されたのだった。
こうしてみると、青井線の方が元花総線のようにも見えてしまい、この点は不明である。
なお、現在、内匠線を分岐している足立線の建設年については、谷塚線の除却が開始された昭和58年頃を示している。
これについては、東武スカイツリーラインの線路を超える少し前の地点〜花総線1号鉄塔までの区間に限る。
この辺りは、昭和55年頃から、新しい道ができて、団地や家が増えたため、余儀なく除却されたのかと思われる。
続いて、変電所の北東方面にかつて位置していた蔵前線については、2009年を最後に送電線の撤去が開始され、現在は、北千住線のみ通過となっている。
(蔵前線については、2009年の時点で既に使われていない死線だった。)
それにしても、北千住線については、かつての水主火従時代、水力発電所が渇水期を迎えた場合に備えての火力発電所用の電線路という気がしてならない。
北千住線については、行き先の北千住変電所には、かつてのおばけ煙突!千住火力発電所があった。
(まぁいずれとも、都心の火力発電所については、大分前になくなったが・・・大昔のことだが、他には、現在、蔵前変電所がある場所には浅草火力発電所があった。)
なお、この火力発電所については、かつての上越送電線の支線(上越送電線路花畑支線)が、水力発電所の渇水を迎えた際に備えてあったものかと思われる。
ちなみにだが、北千住線については、かつての蔵前線との併架区間を越えると、突如として、昭和15年(1940年)建設の送電塔も確認できる。
こちらも勿論、足立線同様、当時の形を維持し続けた原型は既に実在しておらず、やはり主柱材のみ当時物で、嵩上げ済みが目立つのみである。
次に、かつての蔵前線があった変電所の北東方面であるが、ここには後もう1つ、4回線鉄塔で花葛線という送電線があったが(内、下段の2回線は横堀線)
現在、この送電線路は電線路名が変更されており、伊草線となっている。どうやら途中で送電線の繋ぎ替えを行った影響で、電線路名を変更したようだ。
詳細を述べれば、現在、元花葛線だった送電線は、奥の方で鶴ヶ曽根線という送電線から電源を取るようにしたようだ。(上部2回線に限る。)
そして、環七通りに面している変電所の南側には、花川線と青井線の3回線鉄塔があるが、この中では特に花川線の中相の腕金のみ大きくずらした1号鉄塔が鉄塔が目立つ。
青井線については、後の昭和45年に、特別高圧を必要とした需要家が現れたため、途中まで3回線化されたように見られる。
なお、3回線を外れた奥の区間については、一部矩形鉄塔のもので、大正12年(1923年)建設のものある。
そして、花畑変電所のフェンスには、今もなお、昔なつかしのピカちゃんのキャラクターもいる。
このキャラクターについては、昭和39年頃を中心に普及していた東京電力のキャラクターであり、世田谷区民が名付けたとの情報がある。
(↑東電グラフ 1964・8月号・第135号 昭和39年8月1日発行を参考)
さて、ここからは、除却された蔵前線などを含めて、花畑変電所周辺の送電線を紹介していく。

花畑変電所の入口

写真中央に大きく見えるのは花畑線19号鉄塔
この送電線についてだが、大元の昔については、上越送電線路花畑支線に相当するものであった。
既に大正15年には、その送電線路の建設計画が持ち上がっていたようであるが、支線の区間については、もう今は当時の送電塔は実在していない。
支線の分岐元である亀戸線(元上越送電線路)まで行かないと見れない。

花畑変電所の看板
発送電の分離で看板もパワーグリッド表記となった。

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