本牧線

(読み仮名:ほんもくせん)

本牧線は途中、ジャンパー開放(死線)区間が存在するが、戸塚変電所から本牧線68号鉄塔までを結んでいる送電線となっている。
終点の本牧線68号鉄塔は、変電所ではなく、単に地中線路へ引き下げている形となっているから、変電所名はない。
それは見た感じ、引き込み線のようにも思えたが、いかがだろうか?中心地にある地下変電所への送電用とも考えられた。
なお、本牧線は、起点の戸塚変電所から途中の区間までは、妙蓮寺線(子安変電所兼開閉所が起点)とも併架されているが
(電気の流れ方としては、本牧線と妙蓮寺線は逆方向)、その先は保土ヶ谷線(旭変電所が起点)と入れ代わって、引き続き、本牧線の下に2回線の送電線が併架される。
本牧線の下に併架の2回線の送電線が入れ代わりしているのは、境木変電所(配電用変電所)付近である。
この付近で本牧線の下に併架の2回線の送電線が相互入れ代えしており、その先の本牧線は、保土ヶ谷線との併架に入る。(ここより、電気の流れる方向は同一方向)
その先、保土ヶ谷線については、終点の保土ヶ谷変電所(配電用変電所)まで結ばれているが、肝心な本牧線は、弘明寺線を分岐後に、一旦、死線区間となる。
(妙蓮寺線は子安変電所兼開閉所が起点→横浜火力北線の下段に併架→保土ヶ谷線の下段に併架→保土ヶ谷線と振り分けられた後は、保土ヶ谷線と入れ代わって本牧線の下段に併架されゆく)
(保土ヶ谷線は旭変電所が起点→まずはその先、横浜火力北線と併架(電気の流れ的には横浜火力北線とは逆方向)→保土ヶ谷線(下段は妙蓮寺線)→妙蓮寺線と入れ代わって本牧線(一部死線区間)の下段に併架→保土ヶ谷線→保土ヶ谷変電所)
本牧線がジャンパー開放されているのは、その弘明寺線を分岐している次にある本牧線43号鉄塔である。
ジャンパー開放となっているから、その先は実質、本牧線のみ、しばらく死線区間が続くが、本牧線は54号の門型鉄塔を超えた箇所で、突如として地中より別の送電線が引き上がってくる。(活線?)
そこでは本牧線と、地中から引き上げられたであろう?送電線とは、ジャンパー開放されており、やはり接続はされていないようである。
本牧線はその先で再び活線区間?(or停止区間?)となり、保土ヶ谷線とは直前の53号鉄塔で振り分けられており、その先は各送電線とも単一の四角鉄塔で支持されている。
そして本牧線は、送電塔の種類にもバリエーションがあり、途中の東京南線1,2号線、3,4号線の線下を通過する区間では、妙蓮寺線との横配列4回線同時併架鉄塔もある。
奥の方にも矩形鉄塔が中心の区間があるが、そこの送電線は横に4回線ではなく縦に4回線が並んだ構成となっている。
特にその区間はかなり古いようであり、年式は昭和31年(1956年)9月建設とあった。
しかし中には、所々で四角鉄塔もあり、戸塚変電所付近の通常の四角鉄塔は、昭和43年(1968年)9月建設が目立つ。
その区間については、後に電力需要が増加して、妙蓮寺線を引き入れた際に建て替えられたのかと考えられた。
それでは見て行こう。

本牧線ほか香川線の起点でもある戸塚変電所(国道1号バイパスの歩道より撮影)
同変電所内には、南横浜火力線も出入りしており、下段回線のみ送電線を引き込んだり引き出したりしている。
本牧線などは、そこから電圧を下げて電源をもらっているのだろう。

戸塚変電所の看板
なお、撮影時期は、発送電の分離前であったため、分社前のパワーグリッド表記でない。
分社後でも何ら変わらず、当サイトでは東京電力として表記する。
ちなみに私は古い設備系が好きだから、発送電の分離は反対派だった。w
昔、東電に勤めていた叔父の影響だろうか
電力国家統制法案が出る前も、関東配電など別々で管理されていた時もあったようだが、今回の分離で、また会社名が増えて、わかりにくくなった。
(何で一度綺麗に統制したものを再び増やすのか、疑問に思った。w)
しかしフュエルパワーなどは、英語表記であるから、なんとなく発電設備系であるのがわかるが、エナジーパートナーとか、ホールディングズはなんだろうか、混乱しそうになった。
とりあえず、ホールディングスは元でいう本部のようだ。
私が興味がある分野は、パワーグリッドだなぁ
まぁそれはさておき、見て行こう。

起点の戸塚変電所を出た後の本牧線2号は

上部しか写せなかったが

ここからはしばらくは、至って普通の四角鉄塔だ。

こちらは本牧線5号

撮影当時は、プレートの文字がかき消されており、よく見えなかったが、辛うじて昭和43年(1968年)8月建設とあった。
なお、プレートについては、今は新品に打ち替えられているようだ。

奥の6号から先はこんな感じ。
途中には、東京南線1,2号線、3,4号線の下を通過するため、4回線を並列に配置した矩形鉄塔もあるが、それはまだ撮影していないので、飛ばす。

本牧線41号
子安変電所兼開閉所より逆流してきた下段の妙蓮寺線2回線は、ここで本牧線とは振り分けられ、この先は保土ヶ谷線と入れ代わり、それとの併架区間となる。
なお、振り分けられた妙蓮寺線は、この先は入れ代わる直前まで別にある保土ヶ谷線の下段に併架されている。
(本牧線と保土ヶ谷線は、この先の電気の流れ方としては同一方向となる。)

続いて本牧線は、次の42号鉄塔で、弘明寺線を両側分岐する。
本牧線下段の2回線については、ここで2回線が保土ヶ谷線と入れ代わる。

こちらは本牧線から分岐された直後にある弘明寺線甲-2号である。
こちらは分岐直後は、送電線は1回線ずつ振り分けられた水平配列となっているから、矩形鉄塔となっていた。
なお、乙-2号については、山の上の反対側にあるから撮影できない。

弘明寺線甲-2号の看板はこんな感じである。

本牧線42号鉄塔の反対側写真はこんな感じ。
手前側には、相間スペーサ―も見られた。
ここは長径間であるから、落雪時、送電線どうしがぶつかるような懸念があるのだろう。
見た感じここは、本牧線の腕金は、オフセットがなされていない。

本牧線は、ここではまだジャンパー開放はされていないが

次の43号は、上部2回線の本牧線部分のみ、ジャンパー線が取り外されており、ジャンパー開放中である。

なお、ここでは、下段の保土ヶ谷線部分については、清掃工場へ向けて2回線を分岐しているようだ。

本牧線43号のジャンパー開放の拡大写真

ちなみに43号は、狩場町第五公園内にあるからプレートの撮影が可能である。
ここは比較的建設年が若く、昭和54年(1979年)12月建設であった。
恐らくそれは、その清掃工場ができた年代であろうことだろうと思うが、プレートには何やら後で数字を貼り付けたようにも思える。

さて、次の44号は、他では見慣れぬ形状をしておった。

こちらは、架空地線支持の三角帽子がないから、昭和のものであるのは変わりないと思う。
でも、他では全く見慣れぬ構成だ。

なお、44号は看板があるのみで、プレートの確認はできなかったが、恐らくこの辺から昭和31年の原型があるものかと考えられた。

44号の看板

こちらも一応付近に道路があるから、そこからの撮影も可能であるが、プレートは見れない位置にある。
プレートについては、送電線の送電端方面(電源側)に設置する傾向が多いようだ。
これは巡視の際、若番方面から見て行くからだと思われた。

最後に、次のページで紹介の矩形鉄塔を含んだ写真はこのような感じだ。
これは矩形鉄塔区間を超えて振り向いて撮った写真だ。

ここではアップダウンのある矩形鉄塔の他に四角鉄塔もあり、複数種類の送電塔が混じり合う。
このような光景も、関東近郊ではこの辺だけではないだろうか

なお、本牧線は、この辺りは矩形鉄塔が主流
矩形鉄塔区間については、次のページで紹介しよう。

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