猪苗代新幹線・嵩上げ箇所
No.715〜No.739区間
(現況:全て建て替え済み)
東武日光線の幸手駅より東へ約2キロ程行った埼玉県幸手市内にも、猪苗代旧幹線による大正15年物の旧鉄塔の確認ができたが
この地域では途中から住宅などの構造物増加のためか、元々低かった大正15年(1926年)建設物の旧鉄塔を嵩上げした変な形をした鉄塔があった。
(現況:嵩上げ鉄塔は全て除却され、現在は全て新しい背の高い2条地線を張った新鉄塔が建っている。)
それがあったのは、715号〜739号までの区間である。(利根川横断の722号と723号は除く。ここは元々川の横断で背が高い。)
明らかに形が変である。

元の形は、上記のごとくである。
次のページでは、完全なる原型を掲載している。
丁度これは、河北3号線、4号線の完成と同時に併架が開始された際に、嵩上げされたのかと思われる。
なお、今回はその猪苗代新幹線による嵩上げ済み変形鉄塔を老番の739号から見ていく。
 
ここで、右側にある背の高い方が河北3号線、4号線であり
 
その275kVの背の高い併架鉄塔に向けて、突如、大正15年物の旧鉄塔から送電線が移動するのであるから、高低差が激しくなって、猪苗代新幹線側の鉄塔を嵩上げしたかのようにも見えるが
後からの住宅増加の影響で、ここは嵩上げされた可能性が高い。
奥へ進むと、ガスタンクなど、現在の住宅の生活には欠かせない構造物が見えてきたからだ。
上部は完全に猪苗代旧幹線らしい大正15年物っぽい感じがするが、中腹部はスマートな形になっており、かなり細い。
まぁこれは、JRの同時期に建設された後から嵩上げされた鉄塔でもよく見られる構成である。
個人的には、「ウエストの細い鉄塔」などと呼んでいる。wなお、それについては、横浜で見た記憶がある。
さて、元々の高さであったはずの猪苗代新幹線の原型鉄塔は、利根川の横断箇所までにかけて続いており、全く確認できなかった。
この地域については、全て途中から嵩上げしたようである。
これについては、家がいくつか建ち始め、配電線が施設されたことも絡むだろう。
嵩上げされるだけでも、元々の大正時代物の魅力は多少失われるような気がする。
変な形が台無しだ。
とりあえず、嵩上げ済み箇所ではあるが、鉄塔の番号兼建設年札はここの738号で見えそうだ。
猪苗代新幹線の鉄塔の嵩上げは、恐らく付近の河北3号線、4号線ができた昭和40年頃にされたものかと思うが
番号札はなんら更新されていなかった。
大正15年のままはっきりと明記されていた。
圏央道の橋桁ができた所だけは、先走って建て替えられていた。
新鉄塔は将来、周辺の鉄塔の建て替え時に合わせて、2条地線が支持できる設計
こちらは、後から付近の市街地に向けて配電用変電所を作ったのか、鉄塔は比較的新しい平成9年建設であった。
この次にある利根川横断箇所の旧鉄塔については、次のページを参照されたい。
幸手駅へ戻る途中も何枚か撮っていた。
長い間お疲れさまでした。

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