亀戸線

(元上越送電線)

亀戸線も上越幹線と建設時期が同時期であるから、元上越送電線であったことが証明できる。
なお、現況については、亀戸線も2012年には、中川を横断する区間が建て替えられるなど、一部では建て替えが進む。

こちらは亀戸線51号

大分腕金は改造されており、送電塔の高さも嵩上げ済みであるが

建設年は大正13年(1924年)11月を示しており、上越幹線→東埼玉線→草加青柳線らと同時期であるから、この電線路は元上越送電線であったことが証明できる。
なお、送電塔の一部が改造済みであっても建設年に変わりがないのは、基礎や主柱材は当時物であることが考えられる。
(ちなみにだが、同じ電力会社でも支社によっては、改造時期に書き換えるところもある。)

こちらは亀戸線52号

隣接する51号が嵩上げされているからだろうか

中相の腕金から下相の腕金との間には空間が開いており、腕金の内部も少し補強されたような形跡が見られる。

52号の近距離!

斜め横

52号の看板

54号側より、中川を横断する53号と52号を望む。

ちなみに53号と52号に関しては、2012年頃に建て替えられた。

建て替え後はスマートな形状に

2012年に建て替えから除外された54号を含んだパノラマ撮影はこんな感じだ。
(潮止橋付近の歩道橋より望む。)

左側に中川横断後の亀戸線53号鉄塔

54号鉄塔以降を望む。

亀戸線54号鉄塔については、やや送電線を左側へ振っているためか、懸垂がいし連には傾斜あり。

とりあえずこの辺の上越幹線時代から存続の完全なる原型は、2022年現在では、54号と55号、数基飛ばして57号までとなった。
他は送電塔ごと建て替えたり腕金改造と嵩上げをしたりしている。。

55号鉄塔を望む。形は明らか大正時代!
こちらに関しても何かしら補助材のようなものが一部の腕金で確認できる。

中川横断後にある2基目は、上越幹線時代から存続の完全なる原型といえよう形だ!

道路から撮っています。

この先でやや左へ角度を振っているため、がいし連を傾けた亀戸線54号鉄塔

年式は大正13年11月
正しくこれは、上越幹線時代から存続のものである!

デザインが大正時代に対象(タイショウ)する亀戸線
なんてな
自分にはこういう形は、ウルトラマンに登場するジャミラというよりも、渋〜い時代劇に登場する傘帽子をかぶった感じに見える。w

東京都23区東側の地域で、ここまで古い原型が見られるのは、恐らくここだけだと思う。
内輪線(駒沢線)他、世田谷寄りはまた別の川世線があるが年式はいずれとも昭和初期

続いて亀戸線55号鉄塔

この日の撮影は、北側と南側で全然天気が違った。
北側は青空だった。

55号の看板

56号鉄塔は、送電塔の高さ嵩上げ済みのもので上部の腕金も大分改造されているものだった。

続いて57号鉄塔で再び原型が見られた。

しかしここも腕金は、一部で補強済みだろうか

年式は変わらず。

57号を反対側から!

58号は、随分前に遠くより撮影していた。
部材改造かつ嵩上げ済みのものだったが、最近建て替えられた。

最後に57号鉄塔側より56号、55号を望む。

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