草加青柳線

(一部区間で改造された上越送電線時代の送電塔を流用)

昔々、元上越送電線が通っていた証はここにもあるが、現状、東埼玉線より先の送電線については、繋ぎかえがされているようだ。
現在、元上越送電線だった名残は送電塔ぐらいにしかなく、今はこの区間は、全く別の草加青柳線という66kVの送電線が通っている。
文字での解説:東埼玉線(元上越幹線)→元上越幹線の送電塔は完全除却済みで送電線もない区間→草加青柳線(元上越幹線)→亀戸線(元上越幹線)

草加青柳線30号鉄塔
後ろにあるのはJR武蔵野線の線路
ここより先の区間で、元あった上越幹線時代の送電塔へ、草加青柳線という小さな66kVの送電線を架け替えているから、ここで草加青柳線は大きく進路を変えている。
(※草加青柳線自体については後からできた送電線であって、昭和43年(1973年)建設あるのを確認している。)
この送電塔に関しては、近距離のワンスパン先に上越幹線時代の送電塔があるから建て替えたように見られた。
これより先では、元あった上越幹線時代の送電塔に送電線を合わせて張るために、ここは急きょ送電塔を用意したように見られるから、送電塔の形は多少の違和感がある。w

30号の看板

続いて草加青柳線31号鉄塔
ここからいよいよ上越幹線時代の送電塔を見ることができる。
だが、付近にだいぶ住宅が増えているから、この辺の送電塔は高さは嵩上げされているし、上部の腕金もだいぶ改造されている。
架空地線支持の腕金も大正期を思わすものではなく、尖がり帽子仕様である。
だが基礎付近の幅が広いから、そこからなんとなく大正期あるのがうかがえるのであった。
当時物に関しては、正しくその基礎付近にある主柱材ぐらいでなかろうか
次いで懸垂がいしについては、奥にある30号鉄塔が無理矢理方角を変えた幅狭の送電塔となっているから、少し内側へ寄っているのがわかる。

建設年は、これより群馬県方面へ北上していくとある上越幹線と同時期であるが、東電で公開されている平成29年版の154kV系統図を閲覧する限り、今は上越幹線とは送電線は、直接接続はされていない模様
また、草加青柳線よりも前にあったと思われる同線の送電塔(東埼玉線の最終鉄塔から東武スカイツリーラインの新越谷駅・JR武蔵野線南越谷駅までの区間のこと)は、完璧に除却されているようだ。

夕日に照らされる上越幹線時代の送電塔を流用した草加青柳線32号鉄塔

2011年はとりあえず33号まで巡った。

<↓2016年に再来↓>

送電塔の嵩上げ箇所
下の大きく広がった箇所(主柱材)は、当時物に思える。
そのため、プレートは今も大正13年表記があるようだ。

住宅の合間を通過する箇所に立つ草加青柳線 33号鉄塔

35号で再びプレートが見られた。
大正13年(1924年)11月とある。

36号より先の区間については、別の送電線路との併架区間となるため、亀戸線まではしばらく上越幹線時代の送電塔は確認できない。

<そして最後に、本来の草加青柳線の紹介を!>

冒頭で少し触れたが、この送電線の建設年は、昭和43年(1973年)5月となっている。

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