上久屋発電所兼開閉所

片品川線の起点は、上久屋発電所兼開閉所である。
片品川線に電線路名が変更される前は岩室線であった。
その当時は小さいながらも、当初の起点であった岩室発電所より、東京・千葉方面へ続く結構な長距離送電線路であったそうだ。
送電線が竣工したのは大正4年(1915年)のことであり、かつて実在していた利根発電会社が、まずは岩室発電所から千葉の市川?までの区間の送電線を完成させたようである。
(大正4年(1915年)に竣工したことについては、険しい山を超える区間で特別に採用された猪苗代旧幹線設計の送電塔(鋼材は、アメリカのカーネギー(CARNEGIE)製)で
大正4年建設であることを表記するプレートを確認しているから、そうであることは明確である。)
その後の大正14年(1925年)には、途中の上久屋発電所兼開閉所が竣工し、その時に岩室線であった電線路名が片品川線に変更されたようである。
そして、その後はさらに他にも発電所が増設され、片品川水系の利根発電所、岩室発電所、上久屋発電所と続き
ここからは途中、他にも複数ある変電所を通りながら、鳩ケ谷変電所、花畑変電所、そして千葉の市川を通り、最終的には現在でいう東千葉変電所までの区間を結んでいたようである。
(↑管内電気事業要覧 第6回 東京通信局編 昭和4年(1929年)7月18日を参考)
ここでは上久屋発電所兼開閉所と、その付近の送電鉄塔を見てゆく。

上久屋発電所兼開閉所

上久屋発電所と

上久屋開閉所の看板

上久屋発電所

上久屋開閉所
上部の2回線は、岩室線と上久屋小松線が合流した後にある上久屋小松線による2回線の送電線

片品川線

片品川線の当初の起点であった岩室発電所は(岩室線が片品川線へ電線路名が変更される以前)、明治38年(1905年)には発電を開始し、昭和28年(1953年)には発電所内部の発電機を改造したとの情報があったが
岩室発電所が竣工した明治38年の時は、まだ送電線は未完成であったと思われる。
なぜなら途中の区間で、大正4年(1915年)建設であることを示すプレートを確認しているからである。
(他には、結構な長距離送電線路であったため、建設には結構な期間を要したことも考えられる。)
次いで、昭和28年という時期については、他にも引っかかるものがある。
それは片品川線の支持物が、鉄柱から鉄骨コンクリート柱に更新された時期とほぼ一致していることである。
(片品川線の支持物の説明ついては、後述を参考されたい。)
片品川線の山越え区間で確認できる、猪苗代旧幹線設計の2つある内の53号鉄塔(ここは建設年が大正4年から昭和29年に書き換えられる?)と、かつて実在の鉄骨コンクリート柱では、建設年がそれとほぼ一致の昭和29年を示していた。

写真中央に、上久屋発電所兼開閉所を出発する片品川線 1号鉄塔

できれば建て替え前の旧鉄塔を撮影したかったが、撮影に来た時には建て替えられていた。
後1年早く来ておれば・・・

次のページでは、猪苗代旧幹線と同様の鋼材を使用した片品川線52号と53号を見てゆく。

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