片品川線52号と53号

(猪苗代旧幹線と同様の鋼材を使用した区間・現存せず。建て替えらた。)

片品川線の建設当初の支持物については、鉄柱が主流であったが、山を越える区間については、特別に猪苗代旧幹線設計の鉄塔を採用した箇所がある。
(※当時、贅沢であった鉄塔は、重要電線路や送電電圧が高い154kV系統、その他、強度を必要とした山越え箇所以外では使わせてもらえなかった。
それが現在の片品川線の52号、53号に相当する箇所であり、ここには例外として、カーネギー(CARNEGIE)の部材を使った猪苗代旧幹線設計の鉄塔がある。
カーネギーの部材については、大昔は日本の鉄道のレールでも使われている程であり、かつてはアメリカの鉄鋼王であった。
なお、鉄柱区間の送電用がいしについては、60号特別高圧ピンがいしが大いに活躍していたようであり、当時はそれをまるでだ円を描くような感じにして鉄柱に取り付けていたようである。
(※後述で紹介のあの有名な鬼怒川線なるバンザイ鉄塔とは、若干形状が違うようだ。)
なお、当時の鉄柱時代の様相については、下記の絵葉書、関東水力電気會社による利根川筋佐久発電所の絵葉書で確認できる。

この絵葉書については、文化遺産オンラインにも載っている。
この写真は、1931年(昭和6年)頃に撮影されたようだ。

黄色が鉄柱時代の片品川線の様子
左の青は上毛幹線だが、上毛幹線もこの区間については、建て替え済みです。

鉄柱の拡大
鬼怒川線のバンザイ鉄塔(かつての鬼怒川水力電気株式会社が建設)とは、形状は若干違うが、大きな特別高圧ピンがいし(恐らく60号ピンがいし)を使い、2回線を支持しているのがわかる。
なお、山越え区間の肝心な猪苗代旧幹線設計の鉄塔については、この絵葉書の袋には入っていなかった。その鉄塔は丁度、写真には写っていない手前にある!
ということで、あったのは鉄柱時代の写真のみ。なお、ネット情報によると、ちゃんとそれが写った絵葉書?もあるらしい。

↑ちなみに岩室線時代の当時の鉄柱は、「第一期工事竣工記念帖 猪苗代水力電気株式会社 大正4年8月5日発行」の46ページでも見ることができる。
そこには猪苗代旧幹線と利根発電の鉄柱を使った送電線との交差写真とあり、撮影地は、府下北江北村とあった。
これは恐らく現在の東京都足立区江北の北寄りの地域を示していることだろうと思われる。
なお、そこに写っていた岩室線の鉄柱に関しては、補強のためだろうか、特別高圧ピンがいしは2つずつ取り付けられているのが見えた。
それからその特別高圧ピンがいしは色付き(恐らく茶色)のようだった。
色付きの特別高圧ピンがいしということは、明治期末期〜大正初期の頃であることがうかがえた。

イメージ図はこんな感じとなった。

支持物及びがいしの更新時期について:小さな鉄柱に強度的な問題が発生したためか
昭和29年(1954年)頃に、がいしは特別高圧ピンがいしから懸垂がいしへ、支持物は小さな鉄柱から鉄骨コンクリートを用いたものへと取り換えられたようである。
しかしそれがまた近年、平成26年(2014年頃)に寿命を迎えたためか、ついに昭和29年頃に鉄骨コンクリート柱に1度更新した箇所も、今では全てが、ありふれた鉄塔に更新されたようである。
だが、大正4年当時のものについては、まだ未更新区間がある!!(2018年情報)
それが冒頭でも少し触れた、猪苗代旧幹線設計の険しい山を超える地点の52号、53号の支持物(昭和村と渋川市の境目)であり、このエリアについては、建設当初の大正4年より!支持物がなんら更新されていないものがある。
下記写真は正にそこで捉えたものである。
鉄骨コンクリート柱は全てが更新されてしまっていたが、こちらについてはやはり、かなり丈夫なのであろう。
平成も終わろうとしている平成30年(2018年)の時点でも、いまだ現存を確認していたのであった!
ここまで残っているのだから、是非とも文化遺産に登録して欲しいものである!
追記:2020年現在、こちらも現存していないことを確認した。
残念ながら文化遺産にはならんかった。

ここまでの高低差のある険しい区間では、さすがに当時、66kV〜33kVでよく使用していた鉄柱程度では、とても送電線は支えきれない!
そういったことから、ここでは急きょ!特別に!!大正3年当時、世界第3位を誇った!!!険しい環境でも耐えうるつくりである、猪苗代旧幹線で使っていたカーネギースチールを採用したのだろう!
なお、送電がいしについても、ここだけは昔っから特別高圧ピンがいしの使用はせず、懸垂がいしを使用していたことだろうと思う。

そして、片品川線は元々送電電圧は66kV系統のままのようなので、こちらは現在も残る大正3年建設の大元の猪苗代旧幹線のように、鉄塔部材はなんら改造されていないし、がいしの個数も増結されていない。
これは言わば!送電線路名は猪苗代旧幹線とは全く違うものになってしまうが、現在も残り続ける猪苗代旧幹線設計なる完全なる原型と言える!!!!

肝心な年式については、大正4年(1914年)7月のようだ。
この年式については、元祖!猪苗代旧幹線鉄塔より1年若い。
なお、送電塔で使われている鋼材については、こちらも正しく!猪苗代旧幹線設計の送電塔同様に!CARNEGIEの文字が確認できたのだった!
こんな場所にも猪苗代旧幹線設計の送電塔があることに気が付く人は、中々おらんことでしょう。w

しかしさすがはカーネギーはびくともしない!!
しかもこちらは山の頂上で、送電線を支える荷重もそれなりにかかっているとは思うのだが、普通にI吊懸垂鉄塔であるのが驚き!
(これは多分今では耐張鉄塔にしてしまうことだろうと思う。)
それにしても、歴史のあるものなのだから、平成4年の塗装でほったらからしにはせず!
再び塗装をし、さらには重要文化財にも指定して欲しいものだ!
何度も言うが!一切腕金の改造がされていない!猪苗代旧幹線の完全なる原型といえる形は!!現在ではもう既に!ここ以外には実在しないのである!!!

53号の反対側写真はこんな感!

最後に、元祖!猪苗代旧幹線の主柱材にも書かれている、肝心なカーネギー(CARNEGIE)の紋章を!!w

それにしても、こちらも同じカーネギー製の鋼材を使っているというのに、何故か建設年が若かった。
多分こちらも大正4年式のはずであろうかと思われるが、こちらは何故かプレートに、昭和29年(1954年)4月建設と印字があった。
恐らくこれは、かつて隣接の支持物で実在していた鉄骨コンクリート柱の年式なのでは!?
まぁ今となっては、全て現存していないので、なんとも言えんが・・・

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