岩室発電所と岩室線

建設:利根発電会社

岩室線の起点は岩室発電所である。
利根川水系の中では、かつては日本最古の発電所であった。
明治38年(1905年)には発電を開始したとあったが、当時はまだ送電線は未完成であったと思われる。
なぜなら、途中の区間で、大正4年(1915年)建設のものを確認しているからである。(片品川線(元岩室線)区間で確認)
岩室線については、支持物は鉄柱が基本だったようだが、険しい山越え区間などでは、鉄柱では強度不足となるから、中には元から鉄塔を使った区間も実在していた。
なお、竣工された大正4年当時は、6万6千ボルト(66kV)の小さな送電線路でありながらも、当時は東京・千葉方面へ続く、結構な長距離送電線路であったそうだ。
電線路名については、昔はこの後に続く片品川線区間も岩室線といったようだが、途中から追加で複数の発電所が建設されたことで、電線路名が変更されたようである。
特に現在の岩室線が引き込まれる上久屋発電所兼変電所は大正14年(1925年)竣工とあるから、この時に電線路名が変更されたのかと思われる。
その他詳細を述べれば、岩室線は現在、途中の白沢発電所で発電された1回線の66kVの高平線と、小松発電所で発電された2回線の66kVの上久屋小松線に合流しており、以降は、上久屋発電所兼変電所に1度引き込まれている。
上久屋発電所兼開閉所から引き出したその後の送電線路名は、片品川線に変わる。
一方、上久屋小松線については、こちらにも以前は古そうな送電塔があったようなのだが、現在は惜しくも全て建て替えられており、旧鉄塔の写真は収めることに失敗している。(2020年確認)
その上久屋小松線の旧鉄塔は、相武線によく似ている気がする。

↑岩室発電所については、利根川水系では最古となる歴史ある発電所であるからか、絵葉書にもなっている。

現在の岩室発電所兼変電所

発電所の建物は奥の方にあるようだったが、奥の方に立ち入り禁止の看板が見えたので、入らなかった。

<現在の岩室線>

岩室発電所が起点

岩室発電所兼変電所の看板
なお、岩室発電所付近では、強度不足のためか、中には岩室線として、154kV設計の送電塔も近くの山の中にあったようだ。
(岩室線自体は66kV系統)
だが、それらは撮影に来た時には全て建て替えられておった。
そういった点がまた面白かったのだがな。残念だ。

岩室線

岩室線の支持物については、後述でも紹介するが、竣工当時は支持物は鉄柱を使ったものが主流だった。
なお、つい最近までは、恐らく2代目の支持物に相当するであろう送電塔も残っていた。
(それは上信線の送電塔によく似ている気がする。)
恐らくだが、この辺の岩室線の2代目に相当する送電塔については、大正末期か昭和初期頃に、鉄柱から鉄製の送電塔に建て替えられたのかと思われる。
それらについては、主に若番方面に集中しており、畑のところに残っていたようだが、残念ながら、撮影に来た時には全て建て替えられていた。
よって、年式は確認できずに終了した。
上記写真は、現在ではどこにでもある、現代仕様の66kV設計の岩室線の送電塔を撮影したものになる。
Googleのストリートビューには、建て替え前の写真(2012年7月撮影)が残っている。是非ともご覧頂きたい。

途中、1回線の高平線と合流

岩室線

途中、2回線の上久屋小松線と合流

ここより、上久屋小松線となり


上久屋発電所兼開閉所に引き込まれる。
なお、普通、送電線というのは、発電所を起点に1号、2号と続くが
現状、上久屋小松線は、途中で付近の配電用変電所に向けて、2回線の送電線を分岐している箇所があるため

上久屋小松線の起点であるはずの小松発電所側を老番にして、番号を振り分けているようである。
(その配電用変電所側から見れば、一番近いのは上久屋発電所となる。これまたややこしく細かい。)


↓上久屋発電所兼開閉所通過後は、片品川線になる。↓

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