小松川線

(元群馬線の支線)

こちらについては、既に早い段階で送電塔の建て替えが行われたようであり、当時の送電塔については、一切現存していない。
建て替え時期については、昭和50年代後半か平成初期頃の建て替えが目立つ。
その内の東側の東京外環自動車道ができる予定地については、既に昭和50年代後半には建て替えられたようだ。
次いで、新中川沿いのものについては、平成初期に建て替えた模様
それまでは、旧来の154kV設計らしい送電塔が確認できたようである。形としては、三角帽子嵩上げ済みの亀戸線によく似ている気がする。
なお、建て替え前の写真については、江戸川区のサイトに掲載されている。
それを見るとどうやら、昭和63年(1988年)頃までは、多少上部が改造されていたり、送電塔の高さも嵩上げされたりしている感じが見て取れるが、まだ当時物が現存していたようである。
左から2番目にある耐張鉄塔が元の高さのようで、やたらと鉄塔高が低いのがうかがえた。
この辺りもバブル頃に急速に家が増えたから、元の高さのままではいられなくなったようだ。

最近新しくできた東側の東京外環自動車道わきのものについては

建て替え時期が相当早く、昭和57年(1977年)2月

そして!

環七通り外回りで

JR総武線の線路を陸橋で越えた直後に、真正面の遠くに確認できる紅白鉄塔も小松川線である!

新中川沿いにそびえ立つ小松川線の送電塔はこんな感じだ。
昭和63年頃までは、嵩上げ済みの亀戸線に酷似したような旧鉄塔があったらしい。
この辺りも、昭和55年頃から急速に家が増え始めたので、早い段階で建て替えられてしまったのかと思われる。
なお、一部では送電塔の振り分け番号が飛んでいるのも確認されたが、これについては、新中川ができた影響で
送電塔の移設があったり、送電塔の高さが上がって、元数あった送電塔の数が減ったことなどが考えられた。
国土地理院のサイトでは、1940年代の様子を見ることができる。
こちらの送電塔も新中川ができた影響で、移設をされたようだ。

なお、小松川線は、この先で背の高い紅白鉄塔となって

新中川を横断し、小松川変電所へと向かう。
鹿本橋より撮影

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