向ヶ丘線の廃鉄塔

(完全除却済み。)

向ヶ丘線というと小田急向ヶ丘線という、近代まで現存するものとしては非常に珍しい、木柱を使用した送電線を思い起こす方もいらっしゃると思うが(といっても2006年(平成18年)頃まで)
実はこれとは別に、支持物に送電塔を使用したものによる向ヶ丘線もあった。
ちなみに小田急向ヶ丘線の個人の撮影については、全てできずに終わっている。2006年には除却工事が進んでいたようである。
私はその当時、中学生で、当時はまだ電車を使ってまで撮影に出かけようなんて考えてもいなかった。(笑)
さて、向ヶ丘線についてだが、これは送電電圧を見た感じ、どうやら川世線16号?鉄塔の下段に併架されている千南線より分岐されていたようだ。
(この付近の川世線の送電塔は、衛星画像で数えると、14号〜17号間は、建て替え時に1つ減ったようにみられる。)
その後は市ヶ尾線0-1号に接続し、菅生線にも送電線を分岐していたようだ。
しかし現在は見た感じ、向ヶ丘線は地中化されたように見られる。
というのも、付近に特に配電用変電所が見当たらない千南線 特3-1号鉄塔で地中線路を分岐しているからである。
推測だが、恐らくここから菅生線1号鉄塔へ向けて、地中線路が埋設されているのかと思われた。
なお、向ヶ丘線の送電塔の写真撮影については、当時は既に廃鉄塔がいくつか残っているのみで、私が撮影できたのはわずか1基のみだった。
しかし年式の撮影はできたからよしとしよう。
なお、東京電力で公開されている容量マッピングを見ると、今もなお川世線16号?鉄塔より、送電線が市ヶ尾線に向けて分岐されているようなことが書かれているが
向ヶ丘線については前述した通り、地上の送電線、それから送電塔については全て除却済みである。(2021年7月現在)
現在は地中線路として、菅生線1号鉄塔で送電線が引き上げられており、ここが菅生線と市ヶ尾線の電源側であるのがうかがえた。
しかし見た感じ、市ヶ尾線も途中でジャンパー開放されている箇所があるから、詳細は不明である。
ジャンパー開放されているのは、荏田変電所付近の環境調和仕様の市ヶ尾線50号の鋼管鉄塔である。
こちらは2014年頃までは、まだジャンパー線は接続されているのが見えるが、2015年5月には、ジャンパー開放されているのが見える。
なお、ジャンパー開放前は、市ヶ尾線はその先で、荏田変電所を起点とした別の66kVの送電線とも交差合流していたが
現在はジャンパー開放されているから、鴨志田線と市ヶ尾線51号以降の電源側は、荏田変電所に変更されている。
また、市ヶ尾線は、34号鉄塔で東急田園都市線の線路上を門型鉄塔となって、再び50号鉄塔まで続くのだが、途中では一切負荷が見当たらない。
市ヶ尾線については、50号でジャンパー開放となっているのに対し、20数基ある箇所で活線となっているのが不思議である。
ひょっとしたら、その34号以前で電気が停止されている可能性もあるが・・・これまた不明だ。
まぁそれはさておき、ここでは向ヶ丘線の廃鉄塔を見て行く。

向ヶ丘線現役時は、写真左側に写る川世線16号?鉄塔の下段に併架されている千南線より2回線が分岐され

こちらの向ヶ丘線1号鉄塔に向けて、送電線が続いていたのだろう。
ここは向ヶ丘線の中でも一番目立つ廃鉄塔であった。
しかし撮影に出かけた時には、向ヶ丘線の廃鉄塔は、既にほとんどの除却が完了していた。

ということで、次に撮影できたのは5号であった。

こちらは架空地線支持の腕金を少し嵩上げされたように見られた。

さて、向ヶ丘線の年式であるが、昭和38年(1963年)8月を示していた。

その後、向ヶ丘線は、終点間際でドナウ型鉄塔となって、市ヶ尾線0-1号鉄塔に接続していたようである。
(そのドナウも撮影時にはなくなっていた。)

この先は、次の市ヶ尾線のページで紹介しよう。

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