中原線

中原線は、JR横須賀線の武蔵小杉駅を超えてJR南武線の線路上を見てみると見えてくる。
中原線の年式は昭和6年のかなり古いものである。
中原線の起点は、現状は7号が起点となっているが(地中線からの引き上げの門型鉄塔を含めると6号が起点)、駅の開発が進むずっと前については、それより前にも送電線があったものかと考えられた。

恐らくこれは地中線路からの引き上げ箇所であろう。

こちらは門型の鉄鋼を見ると少し古い感じに見えることから、昭和40年代頃には既に一部は地中線路であったようなことも考えられたが、次の年式が平成である。

中原線の送電塔は、JR南武線の線路の上部を通過するものが大半であるから門型鉄塔が基本であるが、開発時に建て替えたであろう起点の7号は四角鉄塔である。

起点は正しくドラキュラと言えよう形じゃなw

起点の7号の年式は、平成19年(2007年)6月とあった。
割と新しいが、これは防錆塗装時に年式を打ち換えたとでもいうのだろうか
形状としてはなんだか昭和40年代頃のようにも思える。

この辺り一帯は、1990年代後半頃からタワマンが建つなど開発が凄いが、中にはこうして昭和初期の送電線も残っている。

こちらはお次の中原線8号である。

年式は驚きの昭和6年(1931年)とある。
もう90年近くある。

送電塔の形は変わり映えしないが、中にはタイダウンがいし装置もある。

こちらは中原線9号
やや右側へカーブを振っているから、懸垂がいしが持ち上がらぬことを懸念して、タイダウンにしたのだろう。
なお、懸垂がいしについては、ここは海沿いの地域であるから耐塩用が使われている。

続いてこちらが1つ飛ばした先の11号(写真右上)

こちらに関しては、JR南武線の向河原駅のこ線橋からも撮れる。
これはこ線橋を上がって振り向いて撮影したものだ。

続いてこちらは12号になるが、さすがに駅舎がある箇所は、門型鉄塔のまま続けるわけにはいかないから、その箇所だけは一旦線路から外れて四角鉄塔となっている。

思い返せば中原線も架空地線がない。
昔から変わらず、この辺には雷雲が襲来することが元々少ないことから張らなかったのだろう。
さて、送電塔の形についてだが、これは形を見るからに昭和初期の当時物に思える。
確かガラスがいしのあった上信線でも同様の形を確認済みである。

続いてこちらが13号だが、ここでまた門型鉄塔に戻る。
唯ここは駅のホームに近いから、門型鉄塔は幅広だ。

次いで耐塩型の懸垂がいしの配置だが、やはりこちらも送電線に高低差があって、懸垂がいしが上へと持ち上がる力が働くからタイダウンがいし装置となっている。

大手企業も立ち並ぶ高層ビル群や近代の住宅の合間を通り抜ける昭和初期に竣工の中原線
なんとも不釣り合いな光景である。
これでも昔はこの辺にも工場があったのだろうか

こちらは数えていくと14号だ。

後は変わらず。

年式も変わらず。

そして最後は

大胆な門型鉄塔を超えて

送電線は向河原変電所へ引き込まれる。
どうやらこれはJR南武線の電源用のようだ。
Googleマップを見るとそう出てくる。

前へ     次へ

ゴロンディーナーのちょっとした送電線の鉄塔記録 トップに戻る

※当サイトは各電力会社・その他の企業とは一切関係ございません。

※当サイトの内容、文章、画像等の無断転載・無断使用を禁止します。
最近、当サイトに掲載中の画像が個人ブログやYahoo知恵袋等へ無断転載される事案が多発しています!!
無断転載は完全な著作権侵害となりますから、必要な方は必ず当サイトメールフォームよりご連絡下さるようお願い致します!
(当サイト内の内容をスマホやPCでスクリーンショットをして、それを公衆掲示板やツイッター等のSNSに投稿する行為も同様です!!固くお断り致します。)


inserted by FC2 system