桜ケ丘線 その1

元黒部幹線
(別名:日本電力東京送電線)

※桜ケ丘線は39号鉄塔より(聖蹟桜ヶ丘変電所)先は、現状休止(死線)状態
(西東京変電所を起点とする柿生線が停止した際の予備線にも思える。)

その死線区間では、日本電力時代の昭和5年建設の元黒部幹線の送電鉄塔が複数確認できる。2020年(令和2年)現在

こちらは、内陸に残っている黒部幹線とは違い、ばい煙の甚だしい化学工場や塩害地域を通る送電線らしい構成となっており、一部では懸垂がいしに、外ヒダを突き出した古いスモッグがいし(耐霧がいし)を使った旧鉄塔も見られた!
そのスモッグがいしについては、初期規格品の2重ヒダ仕様ではなく後期型の2代目の1重ヒダ仕様による。
なお、桜ケ丘線区間の送電線については、聖蹟桜ヶ丘変電所を超えた39号鉄塔より先の区間は、平成初期頃?からずっと休止(いわば死線)状態のようである。
その区間の送電鉄塔については、つい最近まで周辺への環境対応として、緑の塗装を施したような箇所も見受けられたが、送電線については、一部、木々が接触しそうな箇所も見られたことから、今後は送電線ごと除却の可能性もある。

それでは桜ケ丘線区間は、52号鉄塔から見てみよう。

桜ケ丘線52号鉄塔は角度鉄塔で、大分前に建て替えたように見られるが、この先では今もなお黒部幹線時代の送電塔が複数残りつつある。

52号鉄塔の看板

黒部幹線時代の送電塔は、53号鉄塔から見られる。

黒部幹線の送電塔といえば、上から2段目の中相の腕金が幅広く突き出ているのが特徴であるが、こちらは塩害対策で後からがいし交換を行い、またその数も増結された影響だろうか、幅広くはなっていない。

塩害対策といえば、ヒダは特に突き出ていない普通の耐塩懸垂がいしを思い起こすが、ここの送電塔はかなり昔からある影響だろうか、外ヒダが一回り突き出たスモッグがいしを使用している。

なお、そのがいしについては、落雷の影響でがいしが壊されたのだろうか、左側の1回線では2個ずつ、近代普及の通常の外回りのヒダが突き出ていない耐塩懸垂がいしも見られた。

桜ケ丘線53号鉄塔の反対側はこんな感じである。

続いてこちらが54号

54号では年式の確認ができた。
こちらは奥秩父の山岳部で見られたものより3年若く、昭和5年(1930年)12月建設であるのが見て取れた。
ちなみにこれより20基ほど先にある70号鉄塔では、後で昭和14年(1939年)建設のものも確認している。

54号の看板

54号付近より先ほどの53号鉄塔を望む。

付近では他にも見晴らしのいい階段があったので、そこからも撮ってみた。
こちらの場所は、東京都多摩市連光寺6丁目の「てっぺん丘」
丁度撮影時は、まだ右側に物件が建つ前であったから、広範囲が見渡せた。
しかしこのような見晴らしの良い場所に家が建てられて、夜景が見られるのも幸せそうだ。
大雨が降った後の崖崩れが少し怖そうだが・・・

続いて55号
ここから58号鉄塔にかけては、比較的最近、周辺への環境調和として緑塗装を施したものも見られた。
なお、こちらについては完全なる原型のようで、大分鉄塔高が低かった。
このまま送電するのでは、配電線の方も遮蔽線を張るなど、なんらかの対策を必要としそうだ。

55号の年式も変わらず、昭和5年とある。
ゴロンディーナーのじいちゃん、ばあちゃん世代の1930年である。^^
比較的老番方面の年式は3年若い。

その次にあるのは、ヘリ巡視用番号札の番号札が雨水によって消えてしまっているが56号だ。
この辺りでも引き通し区間では、スモッグがいしの使用が確認できた。
なお、この先では・・・

撮影枚数が多いため、次のぺージへ続く。

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