塩浜南線

塩浜南線は、かつての起点は塩浜変電所であり、同変電所から末広町線17号鉄塔までを結んでいたものだった。
この送電線路は、途中、大きくループしているのが特徴であった。
また、この沿岸のエリアでは、夏場の雷の発生回数が少ないためか、架空地線を張っていない区間もあった。
塩浜変電所から送電線を結んでいた、かつての高度経済成長期頃は、ほとんどが鉄道の線路の上部にあって、支持物は門型鉄塔となっていたが
大多数の送電塔は、昭和45年(1970年)頃には除却されたようである。(航空写真で確認済み。)
それは鉄道の線路がなくなったことが大きく絡んでいるように思われる。
その鉄道の線路は、見た感じ、本来の用途で使うような感じではなく、何か一時的に資材を運ぶためのものに思えた。
よって、同電線路は、現在は塩浜南線43号鉄塔が起点となっている。
しかし現状は、残った箇所についても、今ではもうほとんど使われてはいないようである。
なぜなら2010年の時点で、塩浜南線46号鉄塔では、両回線ともジャンパー開放(停止)されているのが確認されたからである。
(※見た感じ、塩浜南線45号鉄塔(稲荷変電所)までは、活線の模様。活線であるのは、わずか2スパン)
また、その当時は、まだ特殊なループ区間も送電線ごと残っていたのだが、同年以降には、塩浜南線64号鉄塔以降の送電線の撤去が開始されており、ループはもう見ることはできなくなっている。
そのループ箇所では、一部では昭和電工の送電線と併架されている箇所もあり、沿岸エリアとしては珍しく、セミストレーンがいし装置を適用したものもあったようだ。
私が撮影に行ったのは2015年の時だった。(時既に遅し。)
この時は、ループ直前にある塩浜南線64号鉄塔までもが現存しているのを確認したが、同鉄塔では2回線を仮引き留めされた状態で残っていたのを確認している。
しかしこれまたさらに送電塔ごとの除却が進んでおり、2020年の時点では、まずは送電線が撤去。
その後の2023年には、ついに塩浜南線56号鉄塔までの送電塔も除却されたようである。
それはといえば、神奈川県の川崎エリアでは秘境ともいえよう、JR鶴見線から出ているJR鶴見線大川支線の上部に、大多数は門型鉄塔としてあったものだった。
2023年時点では、末広町線17号鉄塔のすぐ東隣にある塩浜南線55号鉄塔までが、停止中の送電線を仮引き留めしている状態で現存している状態である。
ここでは、2015年の撮影時点の様子を見てゆく。

塩浜南線のかつての起点は、塩浜変電所であったが、大多数は、既に早い段階の昭和45年頃には除却されている。
2023年時点の架空送電線の起点は、塩浜南線43号となっている。
しかしこの送電線は、後でほとんどの区間は停止中であること(電気が流れていない)に気がつくこととなる。

続いてこちらは44号鉄塔

このエリアでは、まだ架空地線は張られているのが見えるが、JR鶴見線大川支線の方では、張られていない門型鉄塔を大多数確認している。
昔の電気事故読本の文献(新電気 第26巻 第3号 昭和47年3月1日発行)では、その架空地線を張っていないことが話題に上げられていることもあった。
全く雷雲が来ないわけでもなく、送電線に落雷してしまい、停電したような話が載っていた。

45号では、2回線の送電線を引き下げていた。
見た感じ、ここまでは現在も使われている活線のように思えた。

引き下げた後の送電線の行き先は、稲荷変電所となっていた。
それにしてもこれは、ずいぶんとその引き下げ線が長いこと!

続いて46号鉄塔では

両回線ともジャンパー開放されているのが確認された。
すなわち、ここから先は送電線は張ってあっても、現在は使われてはいない停止区間となっている。
背後のもう1回線は、ジャンパー線が長幹がいしへ向けて伸びているのが見えるが、その線はよ〜く見ていると断線しているのが確認できる。

ここでは背後より、47号、48号、49号、50号の順

50号鉄塔は、白石線の線下を通過のため、小さな矩形鉄塔となっていた。

架空地線支持用では珍しく、三角帽子が被せてあった。
なお、白石線の線下では架空地線は張っていない。

次の51号鉄塔は建て替えたのか、近代構成となっていた。

懸垂がいし連の黄ばみは、長いこと停止中であるのがうかがえる。

続いて次の52号鉄塔は撮影し忘れたため、末広町線17号鉄塔側より撮影したものより切り抜き。
ここでは下段に、ループ後の塩浜南線が併架しており、それが途中の塩浜南線70号(現:昭電大川線3号)鉄塔で片側1回線を白石変電所へ分岐しながら、末広町線17号鉄塔へ向かっているというものだった。
しかし2010年以降には、ループ送電は廃止となったため、現在は末広町線17号鉄塔より1回線が分岐され、それを昭電大川線3号で振り分けて、白石変電所に逆送されている感じとなっている。
2015年の撮影当時は、既にループ送電が廃止された後のものとなっているため、ループ後の送電線は、片側1回線はジャンパー開放されており、使われていないのが見て取れる。

これが53号鉄塔
こちらはちゃんとした写真があった。

そして塩浜南線は、こちらの55号鉄塔でループ送電を開始する。
とはいえ、撮影時にはもう既にループ送電は寸断されており、途中までの撮影となるがな。
それと同時に、ここからは架空地線の省略したものが続く。

それからここは、振り分け番号が合わない。
次は54号鉄塔ならぬ55号鉄塔であった。1基足りない。
それもそのはずだった。
昔の航空写真を見たところでは、どうやら以前は、ループ送電を開始する直前では、JR鶴見線の線路の上部に合計3基の門型鉄塔があったようだ。
それで普通の四角鉄塔に建て替えた時に、1基は減らしたようだ。

それでここは55号鉄塔となっているみたいだ。

ちなみにここから先は、神奈川県川崎市では秘境といえようJR鶴見線大川支線の上部を通る。
しかしそのうちの最初の1基である56号鉄塔は、線路を外れた箇所にあるため、矩形鉄塔となったようだ。

なお、こちらの矩形鉄塔は

懸垂がいし連は塔内には収めてはおらず、片側1回線は外へ突き出ていた。
これについては、ややカーブを振った箇所にあるため(この先で線路の上部を通過することになるため)、そうなったのかと思われる。

年式は大分古く、昭和29年(1954年)11月とあった。

次の57号の門型鉄塔の幅は、やや広めだった。

次の58号もほぼ同型

年式は変わらず。

59号鉄塔は、やや幅を狭めた門型鉄塔で、2回線の送電線はやや右側へ寄っており、ジャンパー線支持の懸垂がいし連も一緒に取り付けられている感じだった。

60号もほぼほぼ変わらぬ感じ。
この先で運河を渡る。

なお、ここで右側にかかるJR鶴見線大川支線のガーター橋は、戦前からあるようで、米軍機による機銃射撃の銃痕があるらしい。
ちなみに塩浜南線は戦後にできているから、各送電塔を見上げても銃痕などはないと思うが、末広町線17号鉄塔は戦前からある。
そっちはどうだろうか?

その先にあるのが61号鉄塔だったが、こちらはやや幅広の門型鉄塔であった。

こちらは62号鉄塔
幅が広くなると内部の腕金が傾く懸念があるのだろうか、それぞれ斜めにかかった部材があるのが見て取れた。

63号鉄塔も幅広の門型鉄塔による耐張鉄塔で、左へカーブを振っていた。

そして塩浜南線は

2015年撮影当時は、こちらの64号鉄塔で仮引き留めされている感じであった。
しかしこちらの残った区間も、2023年には完全に除却されてしまったようである。

なお、同鉄塔では、バランスを維持するためのものだったのだろうか

4つの懸垂がいし連に何か支線のようなものを取り付けて、引き下げているのが見えた。

<おまけ>

丁度この横には、JR鶴見線大川支線の大川駅があるが、1日に数便しかないのだそうだ。
このエリアでは、他にも企業へ通勤するための人専用の路線が複数ある。

駅名表示も時代がとまっていた。

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