これぞ内輪線の形!!・相武線 13-1号鉄塔他!

相武線には、内輪線が竣工した大正末期、昭和元年当時の原型を維持し続けたものがある。
ここでは偶然建て替えられずに残った、13-1号付近を見てみよう。

この付近で当時の原型が見られたのは、13-1号と13-2号である。

こちらはそのうちの13-1号
これぞ正しく、かつての内輪線竣工時の原型そのものである!
この形をしたものが、内輪線として都心を囲っていたわけだ。
まぁ正式には、内輪線は足立線が起点となるから、半周という形になるであろう。

なお、懸垂がいしについては、1号線と2号線、それぞれ別々の種類となっていた。
こちらは特に右側が未更新のようで、外ヒダが一回り突き出た旧型のスモッグがいしとなっていた。
次いで左側は近代仕様の耐塩懸垂がいしである。
異種の懸垂がいしが混じり合って取り付けられたこの光景もまた珍しい。

旧型のスモッグがいしの拡大はこんな感じ。
ここではやや送電線が角度を振っているため、スモッグがいしはやや傾斜を付けて取り付けられていた。
この種の懸垂がいしについては、他に杉並線でも見かけている。

年式も正しく、内輪線が竣工した大正15年(1926年)12月である。
高さはわずか22メーターしかない。
そんなわけあって、内輪線の送電塔は、大部分は建て替えられている。
ここまでの原型があるのは、相武線ぐらいだった。

13-1号の看板
それにしても、13-1号や13-2号、こういった振り分け番号はあまり見かけない。
これについては、この先で大がかりな開発が行われて、相武線も一部区間で地中化となり、送電塔の数が減らされたので、そういった振り分け番号が見られたのかと考えられた。

基礎構造も正しく戦前の基礎構成
斜材をもコンクリートで固めてしまうものである。

13-1号の反対側

続いてこちらが13-2号である。
それを示す看板については、裏側にあるようだ。

さて、上から2段目の腕金(中相)についてだが、他の相と比較をすると違うのが見て取れる。
これについては、当初はがいしを取り付ける際、特に塩害は考慮せず少ない個数を取り付けていたようなことも考えられたが、そうではないようだ。
実は内輪線の竣工直後に撮影された写真が「蕨・金町間送電線路 -常磐線上野・松戸間電車開通記念-」に載っているのだが
それを見る限りでは、当初から中相の腕金は変わった形状をしていたのがうかがえたのだった。

13-2号をやや遠目で撮るとこんな感じ。
どこにあるのか、おわかりいただけたであろうか

裏には近代的なタワマンが立ち並ぶ中、こちらは大正15年建設の内輪線(相武線)である。
なんとも不釣り合いな光景だった。
それにてもよく22メーター級の低い当時物が残った。これには思わず感心した。

なお、その先についてはさすがに地中化せずにはいられなかったようで

相武線は、15号鉄塔で一旦地中へ引き下げられる。

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