寺尾線

寺尾線は、旭変電所から栄町変電所(恐らく配電用変電所)までを27基で結ぶ送電線である。
支持物に関しては矩形鉄塔が大半で、中には昭和23年(1948年)建設のものを確認しているから、こちらも相当古そうな送電線に見えた。
なお、途中の末吉変電所を超えると、矩形鉄塔、四角鉄塔含めて、年式は昭和35年(1960年)建設となっている。
これについては、元々は末吉変電所が終点だったことも考えられたが、詳細は不明である。
その末吉変電所には、寺尾線の下段に同時併架されている2回線の北の台(連絡)線が下りている。
北の台線については、その先19号でも分岐をしながら下がった箇所があるが、同電線路はそう長くは続かず
次の20号でジャンパー開放されており、寺尾線20号鉄塔のすぐそばで、20-1号として仮引き留めされている状態だ。(2019年12月現在)
それでは見て行こう。

当時物らしき原型鉄塔は、旭変電所を出て6基目で山の中に見えてくる。
こちらはその寺尾線6号だ。
架空地線支持の尖がり帽子なしという形状がどう見ても古い。

飛び飛びだが、次は8号
こちらは40年ぐらい前に建て替えたようで背が高い。

8号は、昭和49年(1974年)3月に建て替えたとあった。

続いてこちらが、9号、10号の順である。
8号を超えるとまた古い送電塔が見えた。

10号についてもマンションの裏手にあるため、年式の確認はできなかった。

10号上部の拡大

さて、昭和23年(1948年)表記のプレートが残る古びた矩形鉄塔は、寺尾線11号から見えてくる。
最後は約40年ほど前に塗装を終えたぐらいだろうか
現在は塗装が剥げており、年季を感じたのだった。

11号の反対側はこんな感じである。

続いてこちらが12号

寺尾線の下の2回線が北の台線である証拠はここに
しかしこれは後で、仮引き留めされている方では、北の台連絡線となっている。

12号のプレート
年式は昭和23年とある。

さて、次の13号では、一旦送電線は引き通しなるから、懸垂がいしはI吊だった。

なおこの場合、架空地線支持の三角帽子はないようで、そのまま支持しているのがうかがえた。

13号の看板

今見た12号と13号を遠くから見るとこんな感じである。

続いてこちらが14号
マンションの隣でよく建て替えられずに残ったもんだ。

こちらも塗装が剥げており、年季を感じた。

14号はプレートが見れた。
年式はこちらも昭和23年(1948年)6月を示していた。
矩形鉄塔については、既に早いところでは昭和初期には建設されていたところがあったから、原型であっても不思議ではない。
唯、当時に関しては、重要電線路以外は、まだそこまで鉄塔の普及はなかった頃だとも考えられた。

続いてこちらの写真右側が15号で

途中見晴らしがいいところが道路沿いにあった。
これはそこから撮影したものだ。
ここでは1基は末吉変電所を経て、16号、17号、18号と続く。
なお、16号と17号については、最上部の腕金が変形しており、以前は寺尾線から送電線を分岐していたようなこともうかがえた。
しかし実際は不明

ここではJRの川発線(現在、架空線路は廃止)の川崎火力発電所の2つの煙突を背に、末吉変電所の奥にもある矩形鉄塔も望めた。
右から23号と24号(耐張鉄塔)である。

続いてこちらが、末吉変電所内にある17号

17号では下段2回線の北の台線から2回線を分岐していた。
分岐後は末吉変電所に引き込まれる。

こちらは前の16号、変電所入り口前の道路より撮影

末吉変電所の看板

続いてこちらが18号

矩形鉄塔については、19号で再び現れるが

ここでもやはり中の台線より2回線が分岐されているのが見て取れた。

これは引き込み用だろうか

なお、北の台線については、奥までは続かず、次の20号でジャンパー開放されているのが見えた。

ここでは下段の2回線がその中の台線となるが、ご覧の通り、ジャンパー線がないのが見て取れる。
つまり、北の台線はこの先は死線となっており

現状はこちらの仮鉄塔で引き留められている感じだった。

なお、ここの看板では、北の台連絡線との表記になっていた。
振り分け番号は、手前の20号で寺尾線と振り分けられているから20-1号である。

ここでは、写真左側の紅白鉄塔が寺尾線21号で、右側が仮引き留めの中の連絡線20-1号という感じである。
寺尾線については、ここでは2回線を分岐していた。

反対側はこんな感じ。

寺尾線21号からの分岐先はこんな感じ。引き込み用であろう。

今のまとめを鶴見川から撮るとこんな感じ。

続いて寺尾線23号はこんな感じ。
北の台線は、これより手前で仮引き留めとなっているので送電線の姿はないが、ここも合計4回線の送電線が支持できそうな設計となっていた。
北の台線も元をたどれば終点までつづいていたのだろうか
なお、こちらの矩形鉄塔も先ほどの昭和23年式と同じ感じに見えるが

年式はそれよりも12年若かった。
ここからは昭和35年(1960年)9月とあった。

こちらはお次の24号

ここでは右側から24号、その左に25号

そして26号
いよいよ終点だ。

26号も昭和35年らしい感じに見えるが、こちらは矩形ではなく旧型の四角鉄塔となっていた。

年式はやはり変わらず、先ほどの23号の矩形鉄塔と変わりなかった。

26号の反対側はこんな感じ。

そしてこちらが27号となり、栄変電所に引き込まれていた。

27号のプレートも変わらず昭和35年とある。

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