川発線を追跡 その1

(JRの川崎火力発電所-新鶴見変電所間)

(JRの送電線)

現在、川発線の門型鉄塔は、東電の中島線(大元の昔は東川崎線、最後は渡田線となり、同電線路は除却)との交差点付近(道路でいえば国道15号・第一京浜)から残っている。
一応それ以前は、どのようにして新鶴見変電所へ向かっていたのか?についても、昔の航空写真を頼りに追跡をしてみたが、くっきりとは見えないため、わからずじまい。
川崎エリアの昔の航空写真は、1945年からしか見えない。
浜川崎支線というのだろうか、その鉄道の線路が、かつては川崎駅からぐるっとカーブを描き、南方向の川崎新町駅へ向かっていたのだけはわかった。
今はそこは道路になっているみたいだ。
上部を通る川発線の門型鉄塔も、またその時に移動されたのだろうか?
そして、その時にはもう既に、架空送電線路は長いこと廃止となっていたのだろうか

振り分け番号を数えると、現在の川発線は、14号鉄塔が起点のように思える。

しかし現状は

この方は、たった1本の送電線しか残っていない。
1本は、バランス維持のために残したのだろうか?
追記:2022年のストリートビューを確認したところでは、残す1本も撤去済みの模様。
送電塔の除却ももう間もなくか?それにしてもここは、かなりの時間がかかっている。

ここでは14号と15号を望む。
※送電塔の振り分け番号については、普通は起点の発電所より1号、2号と続くが、ここでは真逆であった。

続いて、その右手前にあるのが16号鉄塔

こちらも現在はたった1本の送電線を残すのみで、それは両引き留めとなっていた。

続いてその次が17号鉄塔

現状は、ここで3回線が仮引き留め状態となっていた。(6本あるうちの1本のみは、奥へと引き通し。)
追記:2022年のストリートビューを確認したところ、ここから先の送電線も、全て撤去されたようだ。

ここで18号

3回線全ての送電線の確認ができた。

同時に、プレートもここで初確認
建設年は、昭和5年(1930年)5月とあったから、驚きだ。

続いて、JR南武線・浜川崎支線の川崎新町駅すぐ北西方面の踏切付近にあるのが

川発線19号

20号は耐張鉄塔

ここでは右下に21号、次いで中央に22号

その22号は再び引き通しだが、写真左上部分の鋼材は、こちらは真っすぐとなっている。

ここでは右下より23号、24号

25号の順

25号では、再びプレートが見られた。

建設年は変わらず。

撮影は飛び飛びだが、ここでは右下より、29号、30号、31号

32号の順

32号は、下の方の鉄鋼の部分の錆びが凄まじかった。

33号からは複数基、幅広の門型鉄塔が続くが、33号は撮り忘れた。
ここでは、34号と35号の幅広の門型鉄塔を撮影したものとなる。

次いで奥の36号とその先の37号は、首都高を超えるために矩形鉄塔となっていた。

首都高の方が後からできているから

ここは昭和42年(1967年)3月に、門型鉄塔から矩形鉄塔に建て替えたようにみられた。

反対側はこんな感じ。
黒塚跨線橋で撮影

架空地線が支持できそうな2つの三角帽子があるが、ここではそれは張られていない。

がいしも長いこと洗浄はしていないようで、汚れが目立っていた。

続いてこちらが37号

この方は、2つの架空地線支持の三角帽子はない模様。

そして川発線は

この次にある38号鉄塔で、再び仮引き留めされた送電塔がある。

しかし何も、ここで送電線が終わるわけではない。

そう、川発線の送電塔は、まだ先にも残っている区間があるのだ。(2015年時点)
まぁそれも含めて、ここは完全に使われていないものとなっているがな。
ちなみに2000年代ならば、これより先の5基の送電塔は、まだ残っていたようだ。

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