香川線

香川線は、戸塚変電所から藤沢変電所までを結ぶ66kVの送電線である。
次いで香川線の下に併架されている2回線は戸六線となっている。
戸六線の由来については、起点の戸塚変電所から途中の六会変電所(配電用変電所)を経て、終点の藤沢変電所へ向かうから、頭文字をとって、ちなんだものであろう。
香川線は茅ヶ崎市にある地名かと・・・
次いで懸垂がいしについてだが、これは香川線に関しては、長らく一回りが突き出た旧型仕様のスモッグがいしを使用していたが、今ではほとんどが普通の耐塩懸垂がいしに取り換えられている。
なお、香川線で使われていた旧型のスモッグがいしについては、電気の史料館開館時にも一度取り換えた箇所があったようで、同館にも展示されている。
(ちなみにその写真は、入手困難な「電気の史料館 ガイドブック 2003年5月1日発行」の92ページにも載っている。)
それでは見てみよう。

起点の戸塚変電所入り口

看板
分社前であるから古い表記となっている。

起点の戸塚変電所を出発する香川線1号(上部2回線・下段は戸六線)

ここでは送電線の振り分け引き留め箇所となっていて、その引き留めには東電管内の送電線としては珍しい長幹がいしを、本線とジャンパー線支持用で使用
なお、長幹がいしがあるのは上部2回線の香川線部分であり、これは昭和37年(1962年)の竣工当時のものかと思われた。

続いてこちらが2号

こちらも同じく香川線本線の両引き留め箇所には、東電管内としては珍しい長幹がいしを使用
長幹がいしの使用は、東電管内では、本線のジャンパー線支持や変電所構内の門型鉄塔以外ではあまり見かけない。
こうした本線の引き留めなどで使われる例は珍しいと思う。

なお、こちらは変わって、ジャンパー線支持は、外ヒダが一回り突き出た仕様の旧型のスモッグがいしとなっていた。

やや近距離はこんな感じ。
恐らく国道1号バイパスの方が後からできたと思うが、結構橋近くにあるのが見て取れた。

ジャンパー線を支持する今ではほとんど見かけなくなった旧型のスモッグがいし
この手のスモッグがいしについては、他に初期型もある。
外ヒダが増えれば増える程、相当昔のものということになる。

さて、プレートだが、昭和37年(1962年)3月建設を示していた。

反対側はこんな感じ。
後ろは南横浜火力線である。

続いてこちらが3号

こちらも本線の両引き留めには長幹がいしが使われていた。

続いてこちらが4号

同じく上部の香川線部分は、長幹がいしである。

続いて5号

ここは引き通しで旧型のスモッグがいしが使われていた。

スモッグがいしの拡大
今後はこちらも普通の耐塩懸垂がいしに取り換えられることだろう。

5号のプレート

太陽で見難いが5号の反対側

続いて6号
6号は、横浜によくありげの小高い山の上にあるといった感じだった。
それからやたら背が低いのは、この先で本牧線を下を通過するからである。

両引き留め箇所であるから、ここで再びジャンパー線支持ごと長幹がいしが確認できたが、こちらも大分、がいしが汚れているのが見えた。

本牧線との交差写真はこんな感じ。

そしてその先が7号となるが

その次の8号では撮影当時、工事が行われていた。
見た感じ、どうやら部材交換のようである。
送電塔は、建て替えや防錆塗装を施す他に、こうして部材を取り換えることもあるようだ。
しかしその場合はもちろん、基礎と接続されている主柱材の取り換えはできない。(頂上付近の上部は可能の模様)
部材交換で寿命を伸ばすことができるのは、内部でアームを組んでいる斜材や腕金ぐらいである。

続いて香川線は、9号で大きく進路を変更する。
見た感じ香川線は、JRの大船線(新鶴見-大船間送電線)にルートを取られているため、大きく遠回りしているように見られた。
(※送電線も年功序列で、先にあったものはどかず、後からできたものが多くルートを振ることがある。)
付近は住宅が密集しているため、用地確保の大変だったように見られる。
(いや、それは香川線の方が古いか)

角度を振る香川線(下段の戸六線含む)

9号はこの感じだと、結構な角度鉄塔であることがうかがえる。
長らく遠回りしていたルートをここで元のルートへ戻しているのだろう。

なお、次の10号でそのJRの大船線を超えるため、9号と10号はやや近距離で立っている。

それでその10号だが、こちらも香川線部分は未更新のようで、旧型のスモッグがいしが見て取れた。

スモッグがいしの拡大

しかしその10号も、最近設備更新されたようで、香川線部分もまた普通の耐塩懸垂がいしとなったようである。
別の日に改めて、若番方面の香川線の撮影に行ったところ、工事中であるのがうかがえた。

香川線とJRの新鶴見-大船間の送電線との交差写真はこんな感じ。
送電塔の振り分け番号については、左側はJRの大船線95号で、右側の背が高いのが香川線10号鉄塔である。
ここではどうみても、JRの送電線の方が相当古いのがうかがえる。(斜材の補強材が少ない。)
ちなみにその大船線の年式については、別の場所で昭和29年(1954年)10月であるのを確認している。
香川線よりも8年古い。

別アングルはこんな感じ。
(※道路より撮影しています。)
なお、この反対側を見上げれば

JRの相当古そうな送電塔が見られる。
見た感じ、こっちの方が断然古く、昭和29年当時の原型であるのがうかがえた。(架空地線支持の三角帽子なし。)

こちらは94号で耐張鉄塔だった。

続いてこちらが香川線11号
香川線はこの先でまた南横浜火力線の下を通過するため、支持物は背の低い矩形鉄塔となる。

と、ここで、香川線の下段に併架されている2回線は、戸六線であるのがうかがえた。
左下には黄色の閃絡表示器も見える。(閃絡:せんらく)

11号は、次にある12号の背の低い矩形鉄塔に合わせるため、負荷側の腕金にある懸垂がいしの配置が変わっていた。
上部はそれをやや狭める感じである。

曇ってきてしまったが、その次にある矩形鉄塔はこんな感じだ。
左側の背の高い紅白鉄塔は、南横浜火力線58号である。

ここでは色々な送電線が交差されている。

12号の反対側はこんな感じ。
この区間については、別の送電線路の下を通過するためか、架空地線はない。

12号の拡大
次の13号で長後街道を超えるため、少し背が高くなっていた。

まとめ:ここまでの香川線は、送電塔はなんら嵩上げされておらず、原型が目立ったが(架空地線三角帽子の嵩上げされたものを含む)
この先は昭和50年代頃から家が増えたようで、送電塔の嵩上げ箇所がそれなりに目立った。
なお、この先は、深谷通信所跡地を避けながら通過するため、少しルートが西寄りにずれる。
それでは見て行こう。

17号までは嵩上げされておらず、鉄塔高は原型当時のものが目立ったが

18号辺りから嵩上げされたものが見えた。
上部形状については、昭和37年(1962年)当時の原型(架空地線支持の三角帽子は除く)かと思うが

一応年式については、嵩上げ時期となっている。
昭和53年(1978年)5月とある。
ちなみに支社によっては、送電塔嵩上げ後も、年式を変更しない場合もあるらしい。
他には改造の文字があるところもあり、それまた地域性が表れていたのだった。
例:足立線は送電塔嵩上げ後であっても昭和1年表記のプレート確認
埼玉県の京北変電所付近の送電塔では、改造の文字の表記を付け加えて、年式を変更したプレートも確認

1つ飛ばして次が20号
ここでは片回線の戸六線(2号線部分)より、米軍深谷線を分岐していた。
(※なお、この辺り一帯は、不用意に区切られた区間以外への立ち入りは禁止されているので注意)
今は深谷通信所跡地は、ほとんど更地となっているが、米軍深谷線なる6万6千ボルトの送電線を1回線引っ張るぐらいであるから、当時はここに住居などもあったに違いない。
なお、その米軍深谷線の送電塔は、今は送電線ごと除却されているのを確認済みだ。
しかし終点の変電所については、今もどうやら残っているようである。(2021年1月確認現在)
こちらは米軍の管理となっているから、除却に時間がかかっているのだろうか
その変電所は正しく、アメリカらしい構造となっていた。
アメリカの変電所は、変電所内の鉄塔に長い避雷針があるのが特徴だ。
そこは幾度かか映画で見たことがある。

米軍深谷線は、戸六線2号線部分より分岐されていた。
撮影時は既に死線となっていたため、その箇所とはジャンパー開放されているのがうかがえた。
既に現存していないものとなるが、その米軍深谷線については、次のページで紹介しよう。
なお、香川線は、20号に関しても当時は付近に住居があったのか、嵩上げ済みとなっていた。
それからここは、送電塔が嵩上げ済みであっても、香川線部分の引き留めがいしは古い。長幹がいしである。

立入を制限している看板

続いて21号を含む先はこんな感じ。
21号の香川線引き通しの懸垂がいしは、近代の耐塩懸垂がいしへ取り換え済みだった。

続いてその奥の24号には

ねん架鉄塔もある。
その次の25号も何か送電線を分岐していたような形跡があるが、詳細は不明である。
(※写真は、いずれとも指定された区域で撮影)

この先は、しばらく割愛
途中の六会変電所(配電用変電所)では、香川線より西部水再生センター線(→日本電池線)を分岐している箇所もある。
なお、六会変電所へは、香川線の下段に併架されている戸六線より分岐しているようである。

大分飛ばして、こちらが香川線38号

この辺りは架空地線も2条地線設計であるから、一度建て替えられたようだ。

39号も建て替え済みであるが、その次の40号からは再び古いのが見えた。

<こちらはおまけ>
付近には無残となったハコスカが見られた。もったいない
今では中古車でも1000万で売られているぐらいだ・・・(高すぎねえか)
2021年現在もずっと放置されているらしい。

40号は、また引き通しとなっており、香川線部分は古いスモッグがいしが確認できた。
しかしこちらはどうやら工事中のようであった。

送電線はがいしから取り外され、塔体へ送電線が寄せられていた。

それにしてもこの形だと、架空地線支持の三角帽子がなければ、昭和の古きよきレトロ感ある送電塔に見えなくもない。

ここでまた旧型のスモッグがいしの拡大を!
スモッグがいしは別名、耐霧がいしとも呼ばれる。
同がいしには、初期型には複数の外ヒダがあるものもある。
これは2代目だな。初期型スモッグがいしの現役は、もうどこ行ってもないか・・・

原型の年式については、この辺りも同じだった。

反対側はこんな感じ。

続いてこちらが、終点間際の香川線41号鉄塔となるが、この先で各2回線は振り分けられる。

なお、電源側の引き留めがいしについては、こちらも長幹がいしのようだった。(香川線部分)
しかしこのがいしも、今では普通の懸垂がいしに取り換えられたようである。

その後香川線は、この後、藤沢南口線の最上段に併架され、42号で藤沢変電所へ引き込まれているようだった。
なお、終端にある黄色の背の高いもの(左側)は、香川線の最終鉄塔になるみたいだ。
ということで、香川線は43号で終点だ。
(※普通、送電線路名というのは、最上部に架けられている2回線の電線路名が付けられる。)
次いで戸六線の方は、写真右側からやってきた用田線41号の最下段へ併架され、用田線42号で引き下げられているようであた。

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